このタイトルは日本に本格的にユング心理学をもたらした最初のひと、河合隼雄氏の「こころの処方箋」の中の言葉です。
これは占い師という仕事に本気で取り組めば取り組むほどに、痛切に実感させられる真実です。
「ひとに迷惑を掛けてはいけません」「真面目に仕事をしましょう」「不倫はいけない」等々、、、誰が聞いても賛同せざるを得ない公明正大な意見。 下手に反論しようものなら人間性を疑われるので、しっかりした根拠がない限り異議を唱えることに後ろめたさを感じる。
なにも、これらを軽るんじて良いとか反論を加えようとするんじゃないんです。
問題は、これらの反論を加えにくい公明正大な意見には、対話をそこで終わらせてしまうヒューマニズムの欠如が裏に潜んでいる、ということです。

「好きな異性が居るのだけれど、相手も好意を持ってくれるかどうか不安」占いの現場に日常的に持ち込まれる題材です。
これに対して相手との相性を鑑定して、良いと出たのならば、それを根拠に「アタックしてみなさい」とアドバイスする。 多くの占い師さんがこういうアプローチを取ると思います。 これは正攻法ですが。
これで「アタックしてみよう」と思う方ならそれで良いのですが、それが出来ない方が多いのです。 その理由は「物怖じしやすい性格」だったり「行動を起こすより先に失敗した時の心配、取り越し苦労をしてしまうクセ」だったりする訳ですが、こういった方に「物怖じせずに頑張りなさい!」とか「物怖じするその性格がいけない! それを直しなさい。」と言ったところで「それが出来てりゃ苦労はしないよ。」といった反発が返ってくるのが関の山で、場合によればいわゆる逆切れをするひとも居るでしょう。

誤解なきように補足しますと、クライアントの反発を買ってはいけない、怒らせてはいけない、などと言っているのではありません。 これを意識し過ぎると、その場を丸く納めることばかり考えた結果「なぁなぁ主義」の鑑定に堕してしまい、毒にならない代わりに薬にもならないものに成ってしまうからです。 場合によれば毒を与えることも必要なこともありますので。
「物怖じしてしまう性格」が問題となれば「何故、なにが物怖じさせるのか?」という疑問が出てきて当然です。 「○○という星が○○と〜〜だから」と言ってしまえば、「仕方がない」で終わりです。 これだと、物怖じしやすい人は見合いでしか結婚出来ないことになるし、忍耐力の無い人は出世できないことに成ります。 四柱推命を初め東洋占の占い師さんはこういう決定論的な物言いをする方が多いのですが、、、ま、鑑定という意味ではこれで良いのでしょうが、何かが足りない、、、。
何が足りないのでしょうか? 私は「その方の幸せは何処にあるのか?」と一緒になって考えてあげようという姿勢だと思います。
実のところ、これは非常にしんどい取り組み方です。 先に場合で言えば「結婚する事が本当に幸せに繋がるのか?」「出世がこの人の幸せか?」といった根元的問い、ひいては「人生とはなんぞや?」という処まで降りてゆかないといけないからです。 しかも哲学としての一般論ではなく、その方その方ごとに、個々人のパーソナルというものを非常に意識した上で考えないといけない。 占いにはデータ的な側面(AがこうでBがこれこれ。 だからC。 みたいな答え)がありますが、こういった類別論、パターン論はこのレベルにまで踏み込むと通用しません。
 余談ですが、関西の有馬温泉に「占い師はデータ屋」と豪語するアホな占い師が居ます、この方は大抵は企業の相談ばかりを相手にしています。 企業が相手であれば、この占いのデータ的側面だけで話をしておれば良いわけで、言うなれば「一番楽な客」(占いの確度を上げる=技術的努力な要求されますが、本論で主題としている心的働きとしては楽)を相手しているわけです。 これはこれで、この方の生き方なのでそれ自体をとやかく言うつもりは更々ないのですが、企業が相手ですから報酬は悪くないわけで、占い師の中でも裕福な部類に入ります、それを傘に着てご自分が何様かに成ったように勘違いをされて、「カウンセラーなんかに敬意を払う気なんか更々ない! カウンセラーなんてその程度の職業。」とまで言い出す始末なので、釘を刺しておきたいと思ったまでです。

私も経営顧問として遇してくださる企業トップのお客様を幾人か持っていますが、これらの方はご自分の人生の目的、幸せというものに対して確かな視点をお持ちで、お聞きになる質問も設問の設定が非常に明瞭です。 そうなれば、こちらもお聞きになっている事のガイドラインをお教えすれば良いだけで済みます。

話を戻して、「物怖じしやすい性格」と一口にいっても、それを構成している素因、要素は実に複雑多岐に及び「これが原因だ!」と簡単に断じれるものではなく。 占い的に大凡の輪郭=見通しは付くものの、決め付けてしまうと危険です。 何故なら、この構成する要素というのは、そのひと自身のオリジナリティーと密接に関連している場合が非常に多く、これを不用意に批判、攻撃しようとする試みは、その方のオリジン、ひいては存在意義そのものを脅かす危険性の高い行為なのです。 改善のつもりが改悪になってしまうということ。
これで「100%正しいアドバイス」が、なぜ役に立たないかお解りになったと思います。 存在意義を脅かされるのですから、防衛反応を引き出して当然なのです。
ここまで説明して「じゃぁ、やはり性格は改められないのですね。」と仰られてガックリくる場合が少なくないのですが、それは違います。
「改めよう」と心底から思う動機があれば改まります。 この「動機」を働かせるために、「その方の幸せは何処にあるのか?」を考えていかざるを得ないのです。
人というのは「わたしの居場所はココだ!」という確信があれば非常に強くなります、逆に自分の居場所が見付からないことには不安で仕方がないのです。 「自分の居場所」とはジェイムス・ヒルマンの言葉を借りれば「内なるドングリ」を見出すことに他ならず、それは「自分は何者か?」という問いに対する答えそのものなのです。 宿命とは世間一般に言われているそれとは違って、これを指すのでしょう
「じゃぁ、それが何かあなたには判るの?」と問われれば、それは判りません、「法の華」の誰ぞや「ライフスペース」の誰ぞみたいに「わたしには判る!」なんてのは嘘八百の詐欺師です。 それは魂を宿したご本人以外には決して判ろうはずもありません。 確信を持って「当人以外判るわけがない!」と確信を持って断定できるのが、占い師なのかも知れません。
ただ、そこへの入って行き方を多少なりとも心得ているので、道のりに同道してゆく夢前案内人にはなれるでしょう、と申し上げられるだけです。

トップページに掲げてあるように「神よ、変えられるものを変える勇気を 変えられないものを受け入れる静けさを このふたつを見分ける叡智をお与えください。」ここに言う「見分ける叡智」これこそが「内なるドングリ」なのだろうと思います。


過去に「日記BBS」として掲載していたものから再掲

最終更新日:2013年9月7日