『原発危機と「東大話法」』:池田信夫氏「安冨歩氏への反論*」の分析(1)〜(5)
http://ameblo.jp/anmintei/entry-11132924003.html
リンクは(4)へのもの

池田信夫 blog : 安冨歩氏の知らないリスク・コミュニケーション*
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51767689.html

ニ氏のやり取りを一通り読んで、或る結構有名な科学ジョークを思い出した。

男性の数学者とエンジニアを女性と一定の距離で向かい合わせて

「じゃんけんで勝ったら、彼女との距離の半分進むことができる」と告げたら、

数学者は「それじゃあ永久にじゃんけんを繰り返しても彼女との距離をゼロにできないということではないか!」と半ば怒り調子で嘆いた。

かたやエンジニアは嬉々として「或程度回数じゃんけんに勝てば、望むことを実行するに実用上問題ない(十分な)距離まで彼女に近づける!」と言った。

「論理的にゼロと証明できないものはゼロではない」という点に拘って終始している安冨歩氏と、「実用上無問題とみなして良い」と主張している池田信夫氏という構図である。

主張していると言っても、ちゃんと(その他の関連する記事も含めて)読めば分かる通り、池田氏は主観的個人の意見を言っているのではなく、客観的信頼に足るデータを積み重ねてそう主張している。

更に安冨歩氏の主張する

「(1)低レベル放射線被曝による深刻な障害の発生を否定するデータはないので、安全側に立って判断すべきだ。」

「(2)浜岡原発周辺で大規模な地震が起きて事故になる可能性を否定するデータはないので、安全側に立って判断すべきだ。」

というのは一見すると尤もだと思うかも知れないが、科学リテラシーが一定以上ある人にはご存知の通りこれは「悪魔の証明」と呼ばれるもので・・・「ない」ものの証明は原理的に不可能で、背反するであろう「ある」ものの積み重ねによって間接的に証明するしかないが、これ自体「ないものを証明」したことには(実用上なっても)原理的にはなり得ない・・・これを要求している点。この要求をしている段階で「私は科学リテラシーが欠如しています」と宣言しているのと同義である点に注意しなければならない。

かたや池田氏は「背反するであろう「ある」ものの積み重ねによって間接的に証明」は充分以上にしている。

いま我々が必要としているのは「論理的にゼロかどうか」論ではなく、「実用上問題無いといえる線は何処かを見極めること」であることは、論じるまでもない話だと思うのだが。

リスク管理については以下が非常に有益な視点を与えてくれます

SYNODOS JOURNAL : 「ゼロリスク幻想」とソーシャル・リスクコミュニケーションの可能性 山口浩
http://synodos.jp/society/1764

最終更新日:2014年6月22日