気になる(流すわけにいかないと思う)tweetをタイムラインで見付けたのでコメントするです。

 このつぶやきを発したご当人個人をどうこう言おうというのではないので発言者は明記しません。

みんながみんな「やりたいこと」を見つけなきゃならない社会、みんながみんな「個」を主張しなきゃいけない社会って、息苦しくないか?この記事のような欧米の価値観礼賛が逆に日本にニートを生んできたのでは。http://www.madameriri.com/2011/09/12/

 この発言の何が気になるか。それは、こういう「欧米に追いつこうとしている(欧米を手本とする)日本」という構図で日本社会を捉え「西欧的 "個" の思想ってそんなに素晴らしいものか?」という懐疑を投げ掛ける発想というかマインドというか、、、これが「太平洋戦争に向かう前駆的時代にも出現していた "時代のムード"」と一緒だという点です。

 明治維新以来欧米を倣いとして、その思想、精神、マインドを身に付け国際的に通用する国になろうとしてき、それの意味を見失い出したあの時代、「西欧的 "個" の思想でなくてもいいんじゃないか?」「西欧的 "個" の思想以外にも一流国になる思想・・・そう! 日本的 "協和" の思想ってのがあるじゃないか」と、社会主義的思想の強い勢力が軍部の実権を奪取しつつあったのに結果的にせよ加担した、あの時代の一般大衆の多くが「空気」として共有していったムード。これと似ていると思うからです。

 いま「意味を見失い出した」と書きましたが、これは正確には「西欧的 "個" の思想の何たるかの本質。また、それを獲得することの意味を、そもそも理解していなかった。表層的にしか・・・着物を捨てて洋服を着用し出したのと同じ程度でしか・・・理解していなかった。これのメッキが剥がれだして "何も理解していない" ということが露呈し始めただけ(つまり最初から見失っていた)」だと言えます。

 上記引用の文面に「欧米の価値観礼賛」という捉え方が表出されているわけですが、これは今述べた「憧れて洋服を着てみただけ のマインド」と同類だと、「一旦暫く着てみていたけどしっくりこない。しっくりこないのはこの服が良くないんじゃないか? 服が間違っている、きっとそうだ」と言っているだけの "Sour Grapes" だとわかると思います。

「逆に日本にニートを生んできた」という点は一理あると思われる点ですが、これは "個" の思想が誤っていたのではなく上述の通り、その本質を理解し体得しようとせず上っ面の形式だけを追い掛けていた(その誤った理解の上で教育を施してこられた)からいつの間にか空回りして自分の足場を見失った人が少なからず出てきたと分析するのが正しいと思われます。

 現代に生き残っている「"個" の思想」というのは端的に言えば、主に19〜20世紀の2世紀に渡って国際化していった世界で生き残るために発達してきたセオリーであると思います。 これが歴史的にたまたま欧米が繁栄の中心だった時代に勃興したので、それが「=欧米の思想」ということになっただけ。なので「欧米礼賛」という捉え方自体が、表層的理解しかしていないと自ら語っている言なわけです。

 つまり大事なのは、それが欧米由来のものであるかどうかなどではなく、それが国際的に生き残っていくためのセオリーとして「どう使えるか」「どう使うべきなのか」また「それを使いこなせるほど我らは習熟できているのか」なのです。

もちろん、「国際的に生き残っていくためのセオリーは他にあるかも知れない」という設問設定は当然出来ますが、それの理解、習得、習熟を充分に出来ていない内にそれ自体にケチをつけ出すのは褒められた言動ではないので大概の場合、褒められたものではない結果を生み出すというのは弁えのある大人ならわかると思います。「それを使いこなせるほど我らは習熟できているのか」とはつまり「それを否定できるほど我らは習熟できているのか」だからです。

 時代の符合という意味では、あの時代・・・自由民権運動〜二大政党政治という流れで、その内実は二大政党がそれぞれの支持利権団体の権益拡張合戦に官僚も加わって利益分配談合を繰り返していた揚句に一般国民から信用を失い見限られて、、、その醜い政争を繰り広げていた時代に関東大震災、昭和金融恐慌、昭和恐慌、世界恐慌という歴史的大事変も起こっていたという点。 だから、またぞろ世界恐慌(リーマン・ショック以上の)が起こるなどと、まことしやかに歴史的必然論を説いて恐怖、不安を煽る愚サイトと同じ愚はおかすつもりはないです。

が、あの時代、日本を無意味な戦争へ導いた一つの要因は、上記で指摘した「"Sour Grapes" で自己正当化して悦に入っているマインド」を社会の流れを作る閾値以上の人が、しかも「ムードとして(空気として)」共有した結果だということは肝に命じて欲しいのです。

 もっとはっきり言えば、これは「間違ったナショナリズム」「歪んだナショナリズム」を社会に醸成すると危惧するということです。

2011年9月19日午前9時44分追記:文意がより通る言い回しをアップ後に思い付いたので一部訂正、加筆しました。

最終更新日:2012年4月20日