流動性とは「バリアフリー化」されているか否か
4月 06
ロジカルシンキングのすすめ いじめ, 個性化, 差別問題, 空気としてのマインド No Comments
大筋同意できる。特に「雇用の流動性のなさ」の問題は大いに同意できる。
若い世代でネガティブな労働観が増えている! お金儲けは悪だと洗脳され、会社ギライが多い日本人|これからの日本について、自分のアタマで考えよう!|ダイヤモンド・オンライン
http://diamond.jp/articles/-/16881
それだけに「英語ができないと・・・日本語しかできない人が多いのは問題」的な締めになっているのはどうなのかなぁと思う。
英語ができないよりはできた方が良いに決まっているが、「できる or できない」の問題ではなく「世界に対して何処までリーチできるか」の問題が大事・・・つまり単に英語理解力/会話力が身に付いているだけでは大した意味なくて、その後の「それで? – So what?」の部分が大事な筈。
もちろん文脈込みで読めば、そう言わんとしているのは分かるので、対談者ご両人というよりは、記事を纏めた編集者のセンスが悪いって話だけかも知れませんが。
本題だと思われる「雇用の流動性のなさ」の問題は当ブログでも何度も取り上げているし、その度ごとに引用している(に等しい)池田信夫氏も、それこそ何度も何度もしつこいくらいに指摘している問題です。
これは平たく言えば、ある時に所属している集団が自分の居場所として不適だと感じたら他の集団に「鞍替えする機会均等という意味の自由」が或程度以上存在しているか否かということです。「機会均等という意味の自由」というのは「バリアフリー化」されているか否かだと言い換えられます。
このことは少し考えれば分かる通り、いじめ、特に「日本特有のいじめ」の性質とも通底します。クラス等で無視されるというのが、いじめとしての効力を大きく発揮するのは、その集団以外に居場所を見付けられるかどうかのバリアフリー度合いと反比例するからです。
この意味では日本の社会自体がそもそも「いじめ体質」であると言えると思います [1] 。
[amazonjs asin=”439661392X” locale=”JP” title=”日本人の9割に英語はいらない”]先述の英語の件も、英國の言葉という意味の英語ではなく、実は米語でもなく、Global English化された==バリアフリー化された英語であるという点。この点を見落として「英語、英語、、、」と言ってもあまり意味はない。
つまり英語自体を学ぶというのではなく、その「バリアフリー感覚」を学ばないといけないのです。