前々回のエントリー「論点がズレる時・・・ユング心理学「タイプ論」の観点より」で取り上げた話題の当人の片一方であるMacskaさんのブログに於いて「障害についての意識調査というかクイズ」という題した以下のようなエントリーがアップされた。

 現実にあった話を元にした問題です。
 車椅子使用者を多数含む障害者の団体が列車で旅行に行くことになりました。ところが列車は普段のままでは車椅子のまま乗れるようになっていません。車椅子を使用する人が少人数であるときは、座席の一部だけ取り外して乗せることになっているのですが、これだけの団体が乗るためには一車両丸ごとほとんどの座席を取り外す必要があります。
……以下略(本体を参照してください)
 彼女のもう一つのブログである「macska dot org」も含めて表明されている各評論、意見、感想等から推測できる彼女の意見の一つは「ヒューマニスティックになろうとすればするほど、どんどんヒューマニズムの本質から遠ざかっていく悪魔の呪縛を我々は持っている」であろうと思う。(私の解釈なので違っていたら訂正を入れて下さい> macskaさん)
 私がこう思った根拠の一例が以下ですので、興味のある方は参照してみてください。 → " DV被害者支援を志す人はマツウラマムコ著「『二次被害』は終わらない」に絶望せよ"
(と書いたが、読まないと以下の論理展開がたぶん見えないので「必ず読んで下さい。」に変えます・・・2006/02/11追記)

 この彼女の問題意識というか感受性は私の立場からも非常に興味のある問題であるし、非常に共感する。
 ユング心理学の基本中の基本として、我々の心の奧底に脈々の息づいており、かつ逃げても逃げても逃げ切れない「エゴイスティックさ」「残虐さ」「傲慢さ」「猟奇的性質」を『元型』として持っているという事実(*1)、これを認める処からでしか「倫理」「正義」「道徳」は始まらないというのがある。(脱線になるが、この意味で「小学生女児が同級生を殺傷した事件」などに対する分析は正鵜を得ていないものばかりである。彼女は特殊な女児ではなく、子供に限らず全ての人間の中に、それがそのまま顕現してしまうと恐ろしい事になる猟奇性、残虐性が息づいているので、亊の真相は「あなたの問題」であり「私の問題」であるという問題意識の欠如、または真実を見つめたくない欺瞞性。)

 話が逸れ掛けたが本題に戻って……これらを予備知識した上で冒頭のmacskaさんのクイズに戻ってみると、軽々に迂闊な結論を下す事に非常に躊躇を覚えるだろうと思う。 また、いわゆる「安物のヒューマニスティックな議論」が「なぜ安物なのか」が分かると思う。

 彼女は同エントリーの最後を以下の言葉で締めくくっている
「もちろん、何か1つの正解があるという問題ではありません」
と。

 彼女はつまり、安易な善悪、安易な正邪、安易な解決策を提案して欲しいのではない。
 端的に言ってしまえば、読者それぞれがそれぞれに「自分の中の利己者」と「自分の中の利他者」との葛藤、「自分の中の善人」と「自分の中の悪人」の葛藤・・・これを感じ取り、確認し、知って欲しい、こう思っているのだと思う。

  1. 無論、これが元型の全てではない。 元型の一つの流脈として、こういう流れがあるという意味である。 因みに私は「元型」を「本能」とほぼ同義語だと考え、一般的に想定されている「本能」より遙かに広い概念として「本能」という言葉を使う。 なるべく混同されないよう、その都度注記するようには気を付けているが、この点を今後も留意頂けるとありがたい。

最終更新日:2006年2月9日