このお題を出されて「年金なしでも生活できる経済力(貯蓄も含む)のある人は年金を返上してもらう」というところまではすぐに思い付いたのだが、これには何点か難点がある(シャレではない)。
強制的に年金を返上させる=受給資格を取り上げる なので、これのみを行うと人権問題(個人の財産権に切り込み過ぎ)として批判を受ける可能性が大なので実行できない。故に「経済力のある人は自主的に返上して下さい」というかたちにならざるを得ない。
が、そうなると(ご想像の通り)返上する人と返上しない人が出てきて「正直者が馬鹿を見る」という結果(かつ中途半端に終って有効性が減じる)になる公算が大だと見込まれる。

選挙権返上の提案 — 駒沢 丈治:アゴラ
http://agora-web.jp/archives/1429192.html

これを「年金受給資格:選挙権」というトレードオフの関係として置き直してみるというかなり秀逸なアイデアである。

現在、未成年には選挙権が与えられていない。それは未成年が政治的状況を十分把握することができず、また社会から保護される対象であるからだ。だとしたら、高齢となって社会から保護される立場になった者も、選挙権を返上するのが自然である。

年金とは高齢で働けなくなった人(若しくは「もうこれ以上働いて貰わなくていい」と社会的にコンセンサスされた線で区切られる人)が収入手段を失ったことで生活に困らないようにする為の「最低限の保障=セーフティーネット」というのが本来なのが、いつの間にか「現役時代頑張ってくれた人達」への「慰労金」的意味合いにコンセンサス [1] が摩り替わっているという問題があり、これ故に「高齢者はどう譲歩すべきか」というissue(問題設定)になっているのだ。
その本質に立ち戻るならば、生活保護と本質的に同質なのでこれを「負の所得税」に一元化するのが望ましいかたちである。公平性も増し、役所の事務コストも削減できるからである。この点は押さえておきたい。
ただ、これを行うには大きい壁が幾つも立ちはだかる [2] ので、現状からそう大きくシステムを弄らなくても実現可能な次善の策として上述引用のアイデアは秀逸である。
駒沢丈治氏には異論は(上述の「負の所得税」の件を除けば)一切ない。

この記事一連で問題だと指摘せざるを得ないのは、「公的年金も選挙権もお国が定めた個人の絶対的な権利である」というコメントを寄せている御人である。
公的年金は「払ったのだから受け取る権利は絶対にある」と思っているのだろうが、日本の年金制度は現段階までのところ積立方式ではない。つまり、支払っているのは、その支払っている段階で年金を受け取っている人の分を負担しているだけなので、支払った分に見合った受け取りを主張できる担保としての性格は無いのである。
選挙権、これ自体は民主主義制度を前提とする限りに於いては「絶対的」と言っても良いが、それをどの範囲までの誰に付与するかの裁量は認められているという意味で絶対的ではないのである。事実、20歳に満たない者には選挙権は与えられていない。
本論の方では駒沢丈治氏はちゃんと、この裁量される範囲のコンセンサスが存在してることを述べた上で、この裁量の範囲で「こういうコントロール法もあるのでは」と提案しているのである。反論するのは構わないが、ちゃんと趣旨を理解してからにして欲しい。
つまり両方とも『議論の余地はありつつも現行「コンセンサス」として是認されている「相対的な」権利』に過ぎない。「絶対的な」権利ではない。中学生レベルでも認識してくれてないと困る常識レベルの認識を、プロフィール写真を見るかぎり初老と思える年齢の「いいおとな」が理解していないというのは如何なものかと、これがこの世代(たぶん団塊の世代)を支配している「空気」だとしたらかなり怖いと思う。

——–[ 脚注 ]—————-
  1. 私に言わせれば「情緒論を利用したお手盛り」
  2. 改革案に見せかけて日本年金機構という天下り先をわざわざ作ったのが無くなるという一点を挙げただけでも想像が付くと思う