自分の情動や感覚に高い信頼を置いている人ほど将来の出来事を正確に予測する! | 現代ビジネス [講談社]
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/31975

或る種の、それも大いなる誤解を呼ぶ伝え方で、この意味で間違っています。

正しくは「将来の出来事を正確に予測する人に自分の情動や感覚に高い信頼を置いている人が多い」です。
言い換えると、高い信頼を置くに足る『「洗練された」情動や感覚』を持っている人は将来の出来事を正確に予測する人である可能性が高い、ということです。
つまり『”高い信頼を置くに足る”「洗練された」情動や感覚を持っている』かどうかが最重要ポイントで、これはつまり、意図してかせずかは何れにせよ、情動や感覚が洗練される努力・訓練を経てきている(意図している場合)、情動や感覚が否が応にも洗練される環境に(たぶん若い年齢期に)身を置いていた、の何れかだとかなり強気で断言できます。

裏返せば、洗練されていない情動や感覚は信頼するに値しないし、この洗練されていない(未熟な)情動や感覚に信頼を置く人は単に「思い込みの激しい人」「勘違い野郎」です。間違いなく。

この『「洗練された」情動や感覚』を指して「感情機能」とC・G・ユングは言っていました。また英語で云う「Feelings(感情)」はこの『「洗練された」情動や感覚』のことであるとも。 [1]
ただ、と同時に、15世紀に活版印刷が登場したのに端を発しその後今に至るまでの永きに渡って欧米文明の思想的大黒柱である啓蒙主義、これが論理思考を重視するあまり「Feelings(感情)」を軽視、蔑視する傾向が弱からずあり、これ故「Feelings(感情)」の洗練ということはあまり顧みられなかったし、その結果、洗練されず情動、感覚を野蛮なまま持っており、これを理性の仮面で覆い隠している、これが今日の標準的なヨーロッパ人だという批判を屡々していました。 19世紀後半〜20世紀初頭に欧米で一大オカルト・ブームが巻き起こった一因はこれに求めることができるとも示唆していました。
この事にC・G・ユングが気付いたのは、このオカルト・ブームに科学的にアプローチしてみて何か見えてくるものはないかと、いわゆる霊能者、超能力者とされる人(自称も含む)たちを研究・観察してみたところからでした。
研究してわかったことは彼等は概ね「金儲けの手段として錯覚、錯誤を利用したトリックを霊能・超能力だと称している詐欺師」「何らかの精神病理と診断される人(主にはヒステリー(当時の概念での))」「(それを霊能・超能力と呼んで良いのかの議論は保留しつつ)その能力があると判定せざるを得ない人」の三つに区分できるということです [2]
(ユングは精神科医でしたから第二群も研究対象にしたわけですが)第三群を研究してユングが発見したのは、これらの人たちはおしなべて「自ら進んで霊能力者であるとは言わない」「自ら進んでその能力を誇示したがらない」「その能力の他、知性的・理知的な人で論理性にも優れている」という点です。
あいだの経緯は書くと膨大になるので省略します(興味のある人はC・G・ユングの著書を何冊か当たって下さい)が、後年彼は「論理と感情(Feelings)は相反する二項対立的性質はもっているものの、論理か感情か?という二者択一的に捉えるのは間違いで、二者は車の両輪の如く協調、協力関係にあることで最大のレスポンスを発揮できる」「これ故、論理性の洗練も、感情(Feelings)の洗練も、どちらも共に必要」と考えるに至っています。

巷に「ロジカルシンキングのすすめ」と称する書籍、情報が溢れかえっている昨今ですが、現今までロジカル(論理)の訓練が全然なっていないと言える日本の社会に於いては、そのバランス上まずはロジカルの方へ力点を置くのは間違いではないとは思いつつも「ロジカルだけをいくら磨いても駄目ですよ」と言っておきたいです。いわゆる「頭でっかち」になるのがオチ。
気付いている人は気付いていると思いますが、論理と違って感情(Feelings)はそれを鍛えられる体系化されたカリキュラムのようなものが殆ど存在しないのです。また、カリキュラムのような体系化も出来るとは思えません。ではどうするのか? あくまで経験的にですが、「”ロジカルを盲信せずに” ロジカルを極限まで極めて行こう」とすると、これに連動して感情(Feelings)も洗練されてくる、と私は考えています。但し、決して「ロジカルを盲信しない」「感情(Feelings)を軽視・蔑視しない」という心構えは忘れてはいけません。

冒頭引用記事に戻ると、記事中からも推察できるように、理知性も或程度以上にハイレベルな人を研究対象にしていると思われ、つまりこれは前提条件として既にあり、この上であるので「自分の情動や感覚に高い信頼を置いている人ほど将来の出来事を正確に予測する」という纏め方になっているのだと理解するのが正しいと言えます。

——–[ 脚注 ]—————-
  1. 日本語では何れも「感情」と言い表わすことが多いので混同 → 誤解の元になっていますが、英語では「Feelings」と「Emotions」は区別されますし、日本語に於いても両者を区別することに意識的な人・場合は前者を「感情」、後者を「情動」と言い分けます。
  2. その研究対象であるヨーロッパ文化圏内での話である点は留意する必要がある