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re:無題
庄司拓哉(2006/01/24 00:12)


> これまでの教育は戦後の国家・集団性を重視した詰め込み型の教育が行わ
> れてきた。しかし80年代以降「校内暴力」「いじめ」「学級崩壊」と様
> 々な弊害がでてきた。その反省下で今日の「個性尊重」「豊かな人間性を
> 養う」「ゆとり教育」があることはご存じですよね?

 上記のような誤った解釈がまかり通っている事は存じ上げています。
 「校内暴力」「いじめ」「学級崩壊」の原因を一口に言うのは難しい、というか一口に断じれるものではないと思いますが、少なくとも、以前の教育が国家・集団性を重視した詰め込み型の教育だったのが原因ではないとは言えます。
 また、教育の性格の一つとして、特に義務教育範囲内である中学生までは「詰め込み」は寧ろ必要ですので、「詰め込み」自体を問題とするのは教育の何たるかが本質的に分かっていない戯言です。
 或程度以上の計算が出来ない段階で「足すとは何か?」とか「数とは何か?」などと問うてみてもロクな答えが出せるわけがないので、先ず計算を丸憶えで教えられた通りに何度も何度も繰り返す内に、まず感覚的に「数を扱う感覚」が養うことが先決なのです。 この感覚を養うには、どうしても「決まり切った形を教えるしか」ありません。これは「詰め込み」と言うなら詰め込み以外の何ものでもありません。
 つまり、教育のプロセスとして詰め込みはどうしても避けて通れない手順なのです。

 とは言え、人間というのは感情を持っている動物なので「嫌な相手」「信頼していない相手」から何某かを強要されるのは、子供であっても嫌ですから、(強要は避けて通れないので)問題は強要の方ではなく、それが必要な強要であることを納得させ受け入れれる子供への接し方・・・つまり教師の人間性の問題の方を問題にすべきという話になるです。 当然、子供の方の人間性も問題にされるのは至極当然のことで、子供の場合は充分に人格が発達していていないので、子供の人間性≒親の人間性ということにはなります。

 先に書いた繰り返しになるので軽く触れるのみにしますが、親が普通に親らしく接していれば子供は自然と親を尊敬します(これは本能的にそうなっているの議論の余地はありません)。 親を尊敬できている子供は、その延長として大人全般も自然と尊敬する気持ちが準備されています(実際に誰を尊敬し誰を尊敬しないかは個別に決まってくるが、その気持ちは用意されているという意味)。 この気持ちが用意されていれば当然教師に対しても、それが尊敬に値しない人物でない限り尊敬するのは難しいことではありませんので、学校内、教室内での教師-生徒の信頼関係の正否の半分は家庭が握っていると言えるのです

 この意味で、一昔前に起こり、今も尚同じ論調で来ている「詰め込み教育批判」は、批判(若しくは反省)する論点を誤っているのです。

> 私は、個人主義教育が問題なのではなく、「自由」のはき違えが原因だと
> 思います。「何でもできる自由」を「何をしてもよい自由」と解釈してし
> まったことに問題があるのだと思います。

 上記は、後半の『「自由」のはき違えが原因だと思います。「何でもできる自由」を「何をしてもよい自由」と解釈してしまったことに問題がある』は正にその通り、賛同します。
 しかし、この誤解釈を助長したのは戦後日本の個人主義教育である事は今や明白ですから前半も含めれば賛同できません。
 たぶん、ご存じないのだろうと思いますのでキチンと書いておきますと、上記の私の言葉がより正しくなるよう補足するなら「戦後日本で行なわれてきた個人主義教育は本当の意味での個人主義(権利に伴う義務の重さ、公共性を損なってまで優先される個人の権利など無いという道理、を教えていない)など殆ど教えていなく、個人主義教育の名だけを借りた個勝手教育である」です。 この補足を踏まえて上記のりんごさんの言葉の「個人主義教育」を本来の意味の個人主義教育だとして「個人主義教育はそもそも一度も行なわれた事がない日本に於いては、個人主義教育にその原因を求めること自体がそもそも出来ない」という意味だとするなら、その通りだという事になります。

> アメリカの学校では、授業の中にディスカッションや討論があり、お互い
> の意見を交換しあうそうです。驚いたことに「いじめ」など全くないそう
> ですよ。

「授業の中にディスカッションや討論」する訓練を多くの学校が普通に取り入れているというのは確かにその通りだと聞き及んでいますが、いじめが全く無いというのは初耳です。
 私が聞き及んでいるのは「日本のような陰湿なイジメは総じて少ない」「アメリカに於いてもイジメは存在するが、イジメの質、またはイジメ方が違う」「イジメが無い学校も少なくない(学校によれば無い所もある)」です。

> 個を確立できてこそ相手をも尊重できるのではないですか?

 確かに本当の意味での尊重は仰る通り「個が確立≒大人になっていること」が必須条件でしょう。 ただ、大人ほどの確固たる尊重観念とか尊重意識は無いにしても、じゃあ子供には、これに似た、もしくは近い「尊重感覚」みたいなものすらも無いのかと言えば、これは正しく育っていれば在るでしょう、と思います。

> 最近の子供たちのモラルの低下に関して言えば、それは子供だけにいえる
> ことではないですよね?社会全体、大人が変わらないかぎり子供はよくな
> らないと思います。

 だから育てる側の主の一つである教育関係者が批判されるわけですが、子供は良いしろ悪いにしろ大人を見倣って(倣っているとは気付かないレベルの方が多い)育ちますから、確かに仰る通りです。
 やはりと言うべき、教育が誤っていた場合に、そして、その誤りがなかなか気付かれずに長年放置されていた場合、恐ろしいのは、このように充分に大人になっていない人達が親となり、その子供も同様に誤った教育を施され、、、処がこの段になると親がその自分の子供が受けている教育がおかしいとは微塵も思わなくなっているという点です。
 実際、先の発言で挙げたマナーのなっていない自転車の停め方などは、今や親の世代からしてそうなっています。

*********** 庄司 拓哉 ************
Mailto:yumesaki@mono-style.com
http://therapy.under.jp/dream/
*** 物語り研究所「夢前案内人」*****


このメッセージの親記事です

re:無題 : りんご (2006/01/22 10:18)
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