意識はどこから来るの?

意識を意識する難しさ

 「意識とは何か」「無意識とは?」この説明は思っている以上に難しいです。 なぜなら、人は誰でも「自分でこうありたいと思っている自分」もしくは「こうあると信じて疑わない自分」と、「実際にある自分」との間に思っている以上に大きなズレがありますから、客観的な説明を聞かされると「そんなわけない!」「そんな筈はない!」「自分は違う!」という反発の感情を知らず知らずの内に持ってしまいやすく、なのに冷静な判断をしているつもり、つまり「そうと気付かずに色眼鏡を掛けている状態」で考えてしまいやすい最たるテーマの一つだからです。

 これをもう少し学術的な表現に置き換えますと、「意識とは何だろう?」と「考えているのも意識」だという「観察の主体が」「観察の対象でもある」という根本的な構造的問題を穿んでいるので、客観的にこれを把握するのは事実上不可能だからです。 今日では、物理学の世界が「観測問題(観測者がどういう手段、条件で観測を行なうかが現象の結果に必ず影響を与えてしまうという問題)」というテーゼで明らかにしてしまったように、純粋客観というのは観念上にしか存在しません。(だから、ここに書かれてある事も、厳密には「客観めいたもの」「限りなく客観に近い一つの見解」に過ぎない、ということになるのですが、、、。)

 これをどうするのかという方法論的問題は、「ホントにわたしはわたし?」の項で軽く触れてはいますが、ここでは本題を外れますので置いておきます。 興味のある方は以下の文献を参照してみて下さい。(『ユング心理学の方法(絶版)』(みすず書房)『ユング心理学と日本神話』(名著刊行会)『ユング思想の真髄』(朝日新聞社出版局)以上三冊 林道義著、『理解社会学のカテゴリー』マックス・ウェーバー著 林道義訳 岩波書店、『パラダイム・ブック』C+Fコミュニケーションズ編

無意識はいつ、どこから発生するの?

 答えを先に書いてしまうと、この質問自体が間違っています。

 無意識は最初から、生まれる以前からずっとあり、そしてあり続けます。 意識の方こそが無意識から分かれるかたちで(分化)発生するというのが正しいです。

 一番分かり易いのが赤ちゃんの場合で、生まれたばかりの赤ちゃんは殆ど無意識状態で、空腹を感じたり、オムツが濡れた時だけパッと意識めいたものが働きます。 用が済めばまたすやすやと眠り(無意識状態)に戻ってゆきます。

 やがて目を覚ましている時間が長くなるに連れ、周りに興味を示し出します。これが意識の最初の目覚めです。

 この流れから分かるとおり、意識は自ら発達してくるというよりは、無意識の中の本能と密接に関連したところに『意識を分化へと向かわせる「促す力」』が存在するのだと考えるのが妥当だと思われます。

 C・G・ユングはこれを「元型」と仮説しました。

 聖書の中の「エデンの楽園」のストーリー、智恵の実を食べたことで、やがてここから追放されるアダムとイヴの物語は、エデンの楽園(無意識)から時の経過と共に追放(分化の促し)される意識(アダムとイヴ)の発達に向けての第一歩を、比喩的に描写していると現代的解釈をすると、我々人類は(論理的説明が可能になったのはここ100年ですが)、遥か昔から「意識は無意識から出てくる」という真理を知っていたわけです。

意識水準と眠り

 意識は無意識から一度出てくれば出たキリなのかと言えばそうではなく、先の赤ちゃんの例が最たるもので空腹を覚えるなどの時だけ意識が現われ、これ以外は無意識に戻ります。 これは海に浮かぶ島に喩えることができ、といっても島が浮いたり沈んだりする(と考えても良いが)というより、潮が満ちれば沈んだように見え、潮が引くと浮かび上がってくるというイメージです。

 赤ちゃんに限った話ではなく、大人も毎晩睡眠を取っていますね。この時、意識が無意識に沈んで行っているのです。

 とかく無意識を認めたがらない人は意識万能で物事を考えがちで、この観点から見ると睡眠は「機能停止」のようにしか思えないみたいですが、実際には機能は停止していません。 生命維持の呼吸と心拍機能が働き続けているのは当たり前として、これはもとより無意識(生命維持の仕組みもこの中に入っている)はもっと多くの働きを続けているのです。

 考えてみて下さい、睡眠によって身体と共に心の面もリフレッシュ(疲労回復)出来るのはなぜですか? 意識が機能停止しているだけでこれが可能でしょうか? ビデオ・テープを途中で停止させて、次に再開したら、以前の続きから再生されるのが当たり前ですね。暫く放っておいたら頭まで巻き戻ってたなんて話聞いたことありませんよね。

 「動きの無い(停止)ところに作用無し」これは物理の大原則です。 疲労回復という作用が存在する以上、そこには何らかの動き、働きが存在していると考えなくてはいけません。

 具体的にどういう働きで疲労回復が図られているのかは専門外の分野(生物学、生理学、医学、脳科学など)なので厳密に詳論できるだけの知識はありませんが「無意識の中の何らかの作用が意識をリフレッシュさせる為に寝ている時も働いている」のは確かだとだけは言って良いでしょう。 だからでしょうか、無意識は「母なる大海原」としてイメージされることが多いのです。

 ここに「夢の意味」が垣間見えるように思います。 寝ている最中というのは、意識が無意識に沈みに行ってる最中であり、この最中に見るものが夢だからです。 夢の分析も然りで、夢分析カウンセリングとは「覚醒しながらにして夢体験を再現してゆく作業」だと言えるので、これを通して意識の状態が色んな意味で整えられるのも、上述の説明が解れば、驚くには値しません。

意識というコンプレックス

 こうして「自然発生的のようで実は必然」な発達をしてきた意識は、遺伝形質、環境、本人の生得的(生まれながらに備わっている)素質などを、元型の促し導くベクトルに共鳴した総合としての或一定の偏り「癖」を帯びてきます。これを専門用語で「コンプレックス化する」と言います。

 コンプレックス(complex)とは本来「複合体」「複合したもの」という意味で、世間一般に使われている「劣等感コンプレックス」はコンプレックスの一つに過ぎず、このように好ましくないものを指す場合だけでなく、好ましいコンプレックスもあるのです。 「好ましいコンプレックス」の一番身近なものが「習慣」というもので、毎日のように行なう行為をイチイチその度ごとに考えないと行動に移せないのでは効率が悪い事このうえないですよね。 これに必要な一連の行動が「流れとしてコンプレックス化」してくれる事で、考えなくとも無意識的(ここで云う慣用句の無意識は心理学用語の無意識とは別物・・・意識の関与度が最小限になるというだけで、全く意識していないわけではない・・・という意味)にスムーズに事が運ぶ、これが習慣というものの正体です。 まぁ、だから「悪い習慣」が身に付いてしまうと厄介だとも言えるのですが、、、(^^;  逆に言って、性格を含む個人の気質(癖)とは、環境など後天的事象の単なる寄せ集めでもなければ、偶然の寄せ集めによってたまたま出来上がったものでもないのです。

 このように「気が付けばそうなっていた」というかたちで一定の偏り、癖を持ったもの、これが意識の基底層をなします。 この「こころの癖」がいわば個性だと言え、これを自覚、自認するところから自我の確立が、思春期頃から(30歳手前頃からという遅咲きの人も居ます。これは個人差なので気に病む必要はありません。最近の脳科学の研究成果によると日本人は25歳あたりに成人の線引きが出来るそうです。)始まります。 つまり自我が或程度以上に目覚めていない段階の意識(基底層だけの意識)は、意識と呼べるほど高級なものではなく「ただ在るだけの意識」「意識であることには違いないが、漠然と存在しているだけの意識」と言えるのです。

 いま無造作に「こころの癖」を「個性」と呼びましたが、厳密にはこの段階の「こころの癖」は本物の個性とは言えず、「個性の原素材」と呼ぶ程度に留めるのが正しいです。 平易に言えば、自分の個性の素である「こころの癖」(一部は性格と呼ばれる)をしっかり把握し、これを洗練、深化、社会適応させて行くことで自我(この意味での個性)が確かなものとなって行く、こういうことです。 また、自我の確立とは、「ただ漠然と在る意識」を「確かに在る意識」にまで高めて行く作業だとも言えるでしょう。

否定される存在としての無意識

 自我の確立を自覚的に主体性をもって行なっていくのは思春期頃以降ですが、自我のかたちはもっと早く、三歳頃のいわゆる第一反抗期から準備されはじめます。 この時の子供の取る言動をつぶさに観察してみると、「〜ない」という発言が目立って増えることが見て取れます。 これを内的(心理的)変化の結果表に現われる象徴的な表現だと解釈するなら、内的に何かを否定している動きが活発に行なわれているのだろうとわかります。 この「否定している何か」とは、「自分複合体 = コンプレックス」と反する性質、心的動きなどです。 先に、意識は無意識からの作用を受けて発達を始める、と書きました。「作用の在るところには必ず反作用が生ずる」ニュートンの運動力学の法則の一つですが、この法則は心の働きにもあてはまります。 つまり意識の発達を促す無意識からの作用に対する『反作用として「無意識側を否定する心理的動き」』が、ある程度意識が発達した段階から観察されるのです。

 子供は勧善懲悪のヒーロー物語が大好きです。 これは大人がそういう道徳観を教えたいと思うという理由からでなく、子供の心の中に意識発達を促進する為に否定するものを欲する心理的構え・・・この場合は正義の側に感情移入し「悪を憎む」という元型的基本作用が顕現しているからなのです。 この時期に大人が「適切な憎むべき存在(悪)」を子供に与えてやらないと、また正義感に乏しい一貫性の無い言動を取っていると、子供は何を否定して良いのか判らなくなってしまい(ということは何が正しいのかも判らない)、結果、意識の発達が適切に行なわれなくなるケースが思っているより遥かに多いのです。 この時期にシッカリ「元型的悪」に触れさせてやらないと、正しく心が発育しないのです。

 「危険だ」「残酷だ」という理由で「元型的悪」を子供から遠ざけるのは、大人の勝手な綺麗事でしかなく、子供にとっては無益どころか有害です(大人のいう事を鵜呑みにするおとなしい子には育つかも知れませんが)。 と同時に一貫性のある正義感、美的感覚を示してゆく事も忘れてはいけません。ただただ「元型的悪」に触れさせさえすればよいという話ではない事を念押ししておきます。

 ともかくも、このように無意識を否定することで意識の発達が加速し、この結果、無意識には「否定された要素」が対置されることになります。 無意識内に「否定されたもの」が対置され[1]ることで、[ 否定でも肯定でもなく「ただ在り続けているだけ」が本来である無意識 ][2]までもが、「否定されたもの」の側として意識に再定義(分類)されてしまう(*1)のです。(この定義が、意識の側の一方的決め付けで、正しくないことは、お分かりになると思います。)

 逆に言って、意識の発達を確かなものとする為に無意識が一旦は否定されることは必然と言え、これゆえ無意識は「無意識」なのだと意識が認識しても致し方のないことです。

 しかし、ここまでの説明を読まれてお分かりの通り、意識は無意識とのダイナミックな力学的とも言えるバランス関係に支えられてはじめて、その健全性を維持する事が可能なのです。 ですから、無意識を無いものと決め込んで生きて行くことは不可能ですし、意識出来にくいからといって無視してやり過ごす事は出来ないのです。 この論点は『「私の神話」の必要性 』の項でいずれ取り上げます。

文責:庄司拓哉 2001/11/02

----[ 脚注 ]---------------------------------------------------------------------------
  1. 意識によって否定、抑圧されたものの集まりだと考えて良い。直接意識する事は難しいものの、本人の意識していない癖や言い損ない、人の好みなどに表われやすく、他人からの指摘で気付くことが多い。こういう間接的には認識する事が可能。 劣等感コンプレックスを代表とする意識を呪縛する性質のものが、この領域に布置されやすい。 還元的分析によって明らかに(意識化)することで、呪縛の大抵は解消する。 C・G・ユングはこれを「個人的無意識」と定義しました。 「影」とほぼ同義語と考えて差し支えない。  G・フロイトの云う無意識はここだけを指しているということになっています。「ということになっています」と云うのは、フロイト自身、無意識内の神話性、神話的要素の存在を実質認めている発言を著書の端々で垣間見せつつも「オカルティズム」との批判を恐れて(科学性に拘るあまり)、公式には認めていないからです。
  2. 一度も意識に上った事がなく通常は「こんなものが存在するとは露ほども思えない」という領域。C・G・ユングはこれを「集合的無意識」(または「普遍的無意識」)と定義しました。 実際には、宗教画、宗教儀式、宗教建築、絵画、小説、物語、映画、などにシンボルとして間接的に表現されているケースは無数にあるのですが、そうとは気付かれずにあるのが大抵です。 悩み、こころのトラブル、こころの病など問題を抱えた時に、強迫症状、妄想、妄言、幻視、強迫観念、夢などを通じて意識されやすい。これらを総合解釈学的解釈をすることで意味を明らかにする必要があるが、明らかにしたからといってその呪縛力が無くなるものではない。なぜなら、「生きる」ことを強く促す原初的、根元的力だからである、これの呪縛をもし失えば即「死」を意味するであろうから、総合解釈学的解釈によって意味を明らかにするのは、これの呪縛を解消する為ではなく、これの呪縛を「自分の人生の導き手」として味方につける為である。

-- ※参考文献一覧 --
最終更新日:2012年4月20日


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