キリスト教会ではクリスマスのミサと、言えば24日のイヴのことを指す。25日にもミサは有るケース多いが付け足しな感じがある(理由は後述)。カトリックでもプロテスタントでもこの点に違いはない。
感覚的に何となくそうであると感じている人は多いが、信者でもその理由をちゃんと知ってる人は案外と少ない。

クリスマスは「キリストの降誕を記念する日」なのであってキリストの誕生日なのではない(クリスマス → “Christ (por: Cristo)”の“mass (lat: missa)”なのである)。キリストが生まれたのは年末っぽい記述が聖書にはあるが、後述するミトラ教徒を取り込んでいく過程の中でそれと辻褄合わせっぽい伝承が生まれた可能性も低くない。
キリスト教がローマ帝国内に広まっていく時代、先んじてローマ帝国内に広まっていたのはミトラ教で、これは太陽神を主伸とする密儀宗教なので、太陽の力が一番衰え、かつ、この日を境に力を盛り返してくる冬至の日は「太陽が生まれ変わってくる日」として非常に重要で、既にローマ帝国時代に冬至を大々的に祝う習慣が在った。
このミトラ教徒を改宗させる一環として 冬至≒キリストの誕生した日 だった場合の方が心理的抵抗は薄らぐので誰言うでもなくそういうことに何時の間にかなって教会もこれを追認したのだろうと言われている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%B9

だから厳密に言えばクリスマスはキリスト教の本質とは何の関係もないと言える [1] のだが、その経緯は兎も角もキリスト教会の公式祭儀として「キリストの降誕を記念するミサ」が行われるようになっているのだから、これはこれで良いとして。問題は、その起源からして太陽が生まれ変わってくる最後の太陽が沈んで再び昇ってくるこの時間帯が最重要なので、25日の朝以降は「クリスマスは、もう終わっている」のである [2] 。実を云うと、クリスマスは24日未明から25日朝にかけての「徹夜祭」で行われるのが伝統的で、割と最近まで(日本の場合で1970年代後半くらいまで)は徹夜祭、つまり深夜ミサを行うのが普通だったのが、現代社会になって宗教的行動の比重が軽くなると同時に、社会的効率が悪い(次の日会社休むわけに行かない)などの理由から敬遠する声が強くなり、深夜ミサを行う教会が減って現在に至るという具合なのだ [3]
だから僕くらい(昭和40年生まれ)までは深夜ミサの時代を記憶しているので、明けて25日にクリスマスと言われても「なんか違う」と思うわけである。

そういえば、子供の時、クリスマスの度、殊に商業的クリスマスで信者じゃない人もクリスマスと言い出すようになってからは、「キリスト教で一番大事な行事は復活祭なの!」と力説していたのを思い出した。

——–[ 脚注 ]—————-
  1. クリスマス・プレゼントに至っては完全にキリスト教とは何ら関係ないということを一般の人は全然知らないのだろうて。
  2. 引用したwikipediaにもあるように帝政ローマ時代の暦は日没からが次の日なので、24日の日が沈んでからは25日なのだ
  3. 今でも深夜ミサを行っている教会は少ないながら存在する。特に長崎五島地方