魔術に取り組みには大きなリスクを伴いますので多少オーバーな表現に成ることをお許し頂きたいと思いますが、魔術に取り組むには一定の素質のようなものがある事は否定出来ません、正確には「取り組むのは自由だが、そこから適切な恵みを享受できるには一定の素養のようなものが要る」となると思います、蛇足ながらここで言う「自由」とは「責任を伴った自由」で「手前勝手」と明確に区別して頂くことをお願いします。

     以下、私が考える「魔術師の資格」を列挙します。

  1. 霊的先入観は無ければ無いほど良い
    一見、逆のように思われがちですが、いわゆる「霊感のあるひと」というのは言うなれば「我流、自己流」で回路が開いている方なので、それを能力として使おうとすると一旦既に開いている回路を閉じて、そのまま修正無しに使える場合もあるかも知れませんが、そこから改めて回路を適切に開いてゆかないといけません。 これはかなり難儀な作業で、またこういう方は霊的に雑音が混じりやすく実際には中途で魔術修行が不調に終わる、というのが私の経験に基づく結論です。 何処かにこれでも納めることの出来る魔術師の方は居るでしょうが私には出来ません。 魔術師に成ることは諦めて霊媒師にでも成って下さい。

  2. 「わたし霊感が在るんです!」とふれ回っている方は資格なし!
    上記と重なる部分がありますが、「霊感が在ることに拠って他人の為に何が出来るのか?」ということに思いを致さず唯々これを軽率に吹聴するのみ、こういう次元で留まっているのでは霊的能力の在る無し以前に魔術に取り組む姿勢として失格です。 だいいちキチガイ扱いされるのがオチです。 「愛に基づかない魔術は無に帰す」とは多くの先達が厳しく戒めている事実です。 ご自分が発した言葉が周りにどれほどの影響を与えるのか考えないのは「愛に欠如した行為」だと気付いて下さい。
     幽霊や亡霊が見えるといった「霊的ノイズを拾っているだけのこと」を霊的能力と勘違いしないようにお願い致します。

  3. 信仰心を持つべし
    特定の宗教に入信する必要を訴えてるのではありません、「見えざる一者」に対する畏敬の念を持って下さいと言っているのです。 畏敬の念を持たない者に魔術が極められる(極めるとまで大袈裟でなくとも使える)わけがないと思います。
     また、これとは逆に特定の宗教にカルティッシュに盲信しているのも失格と言わざるを得ないでしょう。

  4. 他者に対する思いやりを持つべし
    自己の我侭な欲望の為に魔術を使うと自らを墓の中に葬ることになる、これは古来から揺るぎのない事実です。 我侭というのは「自分」という狭い視野しか持たない心から生まれます、心の狭い者が魔術を用いたところで、そもそも適切な効力を発揮しません。

  5. 霊的能力が身に着くことに優越感を覚える方は資格なし!
    前述したように「他人に何がして上げられるのか」を考えない思いやりの欠如した魔術は邪術であり左道の術です、他人に対する思いやりを忘れない限り優越感に浸る暇など無い筈です。


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