反|脱原発しても全然安全になんかならない

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先ずこの動画を見てほしい。この中で印象的なのは「日本人って何でこんなにだらしないのか。と。あれだけの事故を起こしながら反省もしていないし新しい組織も作っていないし、新しいやりかたを”これだ”と示していない」という部分。
つまり大前氏の言わんとしていることは、大小に関らず事故・トラブルが起こった場合に、その原因、問題点を論理的・理性的に分析して改善、改良に繋げるのが理性的大人の取るべき行動であって、誰が悪いだ誰のせいだと吊るし上げる対象探しをするのは子供のすることだということだと言ってよいだろう。 後者は一見「責任追及」であるかに見えて実は「俺は悪くない」「私は悪くない」と責任回避の自己保身の行動である側面の方が強いのである。今、日本のマスコミ(特に朝日)、そしてマスコミの論調に同調して正義漢ぶっている人たちの取っている行動はこれであるという自覚を持った方が良い。責任追及しているつもりになれて、かつ自己保身出来る実に都合の良い態度なのだと。

さぁ、それで本題であるが、、、殊、原発問題に関しては橋下氏の近視眼的対応(というより反応)は目に余る。日本復興計画 Japan;The Road to Recovery
以前から大前研一氏の本を読んでいたみたいだし、また池田信夫氏のブログを読者であるらしいし、つい先頃池田氏とtwitter上で意見の交換を活発にしていたりもしたので、それなり以上の的確な情報は把握していたと思われるのに、再稼働問題を含む原発問題に関してのコミットメントは稚拙の一言・・・小学生並みの正義感である。
もっと先を見越した時局判断のできる人だと思っていたのだが、買被りだったのか。

原則論を言えば、池田氏の指摘するようにエネルギー行政に地方自治体の長が兎や角言える法的権限はない(意見を述べる自由はあるという意味の権利はあるが)。中央政府であっても、国会審議を経た法律改正、特別立法等の手続きを踏まないで恣意的に原発稼働を差し止めることは違法(贔屓目に言っても脱法)行為である。この点は押さえておく必要はある。

それはそれとしても直接的行使力はなくとも、関西連合または維新の会として意思表示してオピニオン(世論)をリードすることには大いに意味があるので、では、じゃあ、どういうオピニオンを発信して行けば良いのかという話であるが。

なぜ安全性を自分たちで担保しないのか | 物語り研究所「夢前案内人」

以前のこのエントリーで既に述べた通り「実際問題安全性が確保されているのかどうかが大事」なのであって、「なんとなく怖い」という子供の情緒論に同調することではない。
因みにであるが、反原発派、嫌原発派の人も憶えておいて欲しいのが「稼働していようが停止状態であろうが原発の安全度(危険度)は同じ」である点。機械工学的見地を入れれば「動いている方が寧ろ安全」とさえ言えるという点。
そして以下に引用するH2Oプロジェクトの詳細分析をみれば分かる通り、関電管内の(少なくとも大飯3号機、4号機)に関しては十分安全が担保されているということ。

English trans-script is available on all these Videos bellow.



  • TeamH2O発表「福島第一原子力発電所事故から何を学ぶか」最終報告 資料(約13MB)
    ⇒ http://pr.bbt757.com/pdf/conclusion_111227.pdf
  • TeamH2O発表「福島第一原子力発電所事故から何を学ぶか」最終報告 補足資料
    (全プラント比較:約290KB)⇒ http://pr.bbt757.com/pdf/apdx_chronology_and_power-loss.pdf
    (教訓の適用可否:約438KB)⇒ http://pr.bbt757.com/pdf/apdx_applicability_to_pwp.pdf
  • Press Release – What should we learn from the severe accident at the Fukushima Dai-ichi Nuclear Power Plant?
    ⇒ http://pr.bbt757.com/eng/

この点は明白な事実である。

問題は同上エントリーでも書いた通り

経産省の「原子力行政全般に対する不信」がその正体なのだと分かろう筈。 であるならば、幾ら改善策を施そうが、また、その改善策が実際に有効なものであっても、これを国民から信用されていない経産省、原子力安全・保安院の方を向いて行なっている限り、一般市民からの信任は得られる筈はない。

国および電力業界が信用を失っているのが事実であるが、この付和雷同世論に同調して「お前ら信用できないから(原発の運転も)信用できない」というレベルの低い循環論法を展開するのではなくて橋下氏および維新の会は、原発再稼働を前提と宣言した上で「但し、その代わり市民を説得できるに十分な状態を作り、かつ、この情報を100%開示せよ」と関西電力にプレッシャーを掛ける戦法(協力姿勢を示しつつプレッシャーを掛ける「敵対的協力戦法」)を取るべきだったのだ。 十分な裏付けのあるデータを基に人々を説得するのは橋下氏の得意とするところではなかったのか?

どうも、ここまでのところを観察する限り、原発再稼働に反対の人が多数派だと橋下氏は本気で思っているきらいがあるが、ハッキリ云おう「それは大いなる誤解。勘違いも甚だしい」と。若しくは「あなたの取り巻きに偏った意見の人が集まり過ぎているのではないですか?」と。

これが断言できるのは簡単な話で、詳細な分析による科学的データなど要らない。
大阪市中を見回して、節電をしているのは役所と付き合いのあって仕方なく協力している組織、団体、企業、「お願い」という名の「行政指導」に従わざるを得ない企業だけであって、一般家庭で節電協力をしている人は、イデオロギー的にそっち方面の人か、朝日新聞の熱心の読者だけである。
大阪の人間は「実際的」である。よく利己的と勘違いされることがあるが「実際的」なのである。合理的必然性があると判断されたら、ちゃんと節電協力する。それがないから協力しない。ただそれだけである。
この市民の行動を「既に答えは出ている」と受け止めれないのなら政治家として失格だよ、橋下くん。

あなたが今まで批判し、敵に回してきた人達というのは、「サイレント・マジョリティ(寡黙な多数派)」の意向を見抜こうとせず「ラウドネス・マイノリティ(声の大きい少数派)」の圧力に屈するという安易な道を選んできた既成政党であり既存政治家だったのじゃないのですか? 彼らが安易な道を選んできたことで、世の中「既得権益者得」「利益誘導巧者得」になってしまったのを打破し、改革するために大阪知事になり、維新の会を結成し、知事を辞して大阪市長になり、してきたのではないのですか?

少し前にその発言が物議を醸した古賀氏の云ったのとは全く別の意味で「停電テロ」は起こるかもよ。
それは大半の市民による「原発停止したままで居てられると云うならやってみろよ。節電協力なんか絶対にしないから。夏の電力消費ピーク時に停電になったら、その時が見物だね」というかたちで。
これの責任を関西電力の方へ持って行くのはお門違いだと言っておく。 橋下くん君達の責任だからね。

今からでも遅くない、「180度方向転換して、原発再稼働:その代わり安全監視機関を国主導ではなく地域主導で作ること」 → つまり「自分達の安全は自分達で確保維持していく」という方針に舵を切るべきだ。

本当に安全を考えるなら、老朽化しているだけでなく設計思想の古い(古過ぎる)炉は廃炉して新型の炉に立て替えていくべきだ。まだ実用段階には無いが第四世代の原子炉なら大阪の街中に建設しても全然問題ないと僕個人は考えている。 実際、使い道に困っている遊休地は埋め立て地にいっぱい在るのだし。 ある程度以上のリスクを伴っているテクノロジーは、自動車然り、航空機然りで「リスクをコントロール下に収めることで致命的な事態に至らないようにする」ことが定石であり、リスクを遠ざけることは逆に致命的な事態が起こることの予見性を失くす(視野の外にやることなので)ということを、もっと皆は知っておくべきだ。

CHINE • Bill Gates se branche sur le nucléaire | Courrier international
http://www.courrierinternational.com/article/2011/12/08/bill-gates-se-branche-sur-le-nucleaire
ビル・ゲイツ氏が中国の原発に関心 中国で提携先を模索 2011/12/12(月) 14:57:33 [サーチナ]
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=1212&f=business_1212_199.shtml

先頃流れたこのニュース。個人的には「中国に先を越された!」と思ったのだが、これに中国に先んじて手を挙げるべきだったのだよ橋下くん。 池田信夫氏に頼めばビル・ゲイツと話し合う場を設けるくらいはして貰える筈だから、依頼してみてはどうだろうか?

本題よりも重要かもしれない補記: 上に引用のH2Oプロジェクトの詳細分析の中で非常に気になる、看過できない点として「全電源喪失について検討するべきか?」との東電からの問い合わせに対して「考慮に入れなくてよい」と原子力安全委員会が返答している(福島の事故以前の話)という点。 全電源喪失状態が長時間続くと燃料損傷、炉心溶融することは、少なくとも10年前から原子力技術者の間では常識化している(庄司調べ)ので、こんなナンセンスな問い合わせをする東電も東電であるが、これに「検討の必要なし」と答える原子力安全委員会も原子力安全委員会である。 この点はきちんと責任追及されるべきであるのだが、この情報を伝えているマスコミは皆無(反原発の朝日ですら)なのは、どういうことであろうか? この一点を取上げても、彼は(安心という情緒論を振り回すだけで)真剣に安全を追求するつもりなど更々無いのだと言って良いだろうと思う。

プラセーボ投薬社会実験の提言

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問題が出るわけない低線量被曝で「鼻血が出やすくなった」「激しい咳を伴う症状が出るようになった」と、そして「これが内部被曝の影響だ」と言い出す人が後を絶たない。中には「医療機器で体内から多くの放射性物質が測定された」言い出す人も出ている。
そもそも事実無根のデマである可能性も当然あるわけだが、今論じたいのはこの点ではない。
また、この医療機器と称するものが本当に信頼性のある医療機器として担保されたものであるどうか自体疑わしいわけ(もし仮に医療機器自体は確かなものであっても精密医療機器というのは大概がそうだが、適正な操作手順で執行されたかどうかもかなり大事)だが、この点も論点ではない。
仮にこれらの A群:「鼻血が出やすくなった」「激しい咳を伴う症状が出る」、B群:「体内から多くの放射性物質が測定された」 という事象は事実であったとしてしても、AとBが同時期に観察されたからといって、この二者間に因果関係があるということにはならない。因果関係はもとより相関関係のあるなしも何ら証明されていない。また、相関関係が仮に証明されたとしても、これは因果関係を証明したことにはならない。また、体内必須物質として放射線核種の物質を(被曝とは無関係に)我々人間は保持(摂取)しているので、体内から放射性物質が検出された = 被曝によるもの とは言えない。(以下も参照)
http://www.mri-jma.go.jp/Dep/ge/ge_report/2007Artifi_Radio_report/cover.htm
http://case311.miraikan.jst.go.jp/home/docs/radioactivity/1104121558

低線量被曝(月間100mSv以下とする)では長期的に健康被害が出るかどうかも疑わしく況してや短期的に健康被害が出ることは有り得ないと知っている科学リテラシーの或程度以上ある人には、以上の説明で充分である。極めて慎重な見解に拠ったところで「きちんと相関関係のあるなし、因果関係のあるなしを調べてみた方が良いですね」と言うところまでだろう。
処がこれらの訴えをする人達というのは、この説明では全然納得しない。また、論理的に説明、説得を試みても殆ど徒労に終わるであろう。(だからとて論理的説明を怠ってはいけないが)

心理の専門家を標榜している私としては識者の皆さんが行ってきているのとは別の観点からの提示をしたい。

前提として彼等の訴える事象自体は嘘ではない、そういう事象があることは事実だとして、
また、それが生物学的、医学的に健康に問題を起こすほどのものではないと言えるにせよ被曝(内部、外部両方の)が或程度在ることは事実であるので、
以下のように仮説を想定することが出来ると考える。

  1. 低線量被曝の場合、そのほぼ100%は多重に備わっている自己修復機能で生体レベルの影響(健康を害するという結果)には繋がらない事は判っているが、と同時に、遺伝子レベルでは極めて低線量であっても一定量の遺伝子の損傷は起こることも判っている。(遺伝子レベルでは「LNTモデル」が成り立つのに生体レベルでは成り立たないということ → 閾値の存在する強力な根拠になっているわけだが。 [1] )
  2. 身体の各部位が察知、検知した情報は全て脳が受け取っているわけだが、我々人間に限らず或程度以上の脳を備えている生物に於いては、受け取った情報を全て真に受けずに或程度以下の雑情報をノイズとして無視するカットオフ値が設定されている。
  3. このカットオフ値の設定は器質因であるよりかは「脳のプログラム・チューニング」次第であると考えられる。
  4. 遺伝子レベルの損傷も逐一脳には情報伝達されているであろうと考える方が自然で、それをイチイチ覚知しないのは脳のカットオフ設定によって無視されているからと考えるのが妥当。
  5. 「そうじゃないか?」と思う心理が強く用意されると通常より遥かに感覚が鋭敏になるという事象があることは多く観察されている。(清潔恐怖症などの強迫神経症が代表的)
  6. これは、そういう心理作用の影響で脳のカットオフ値が下げる場合があるのではないか?という推定ができる。つまり、この脳のカットオフ設定は「△μv 以下の信号は無視」のような一律カットオフではなく脳がそれぞれの重要度、優先度を判断して軽重を付けているものと考えられる(脳による判断 [2] の介入する余地があるということ)。
  7. 被曝が一切無くても遺伝子損傷は、低線量被曝によるより遥かに沢山の頻度で日常的に発生してるので、脳のカットオフ値が下がった場合を想定すると、非常に多くの信号を脳が受け取る結果「組織が損傷しているかも知れない」という誤覚知 [3] を脳が形成する可能性が考えられる。
  8. 脳というのは「辻褄合わせの名人」と呼べる側面を有しており、誤覚知と辻褄の合わせられる顕在潜在両面での身体的脆弱さが在った場合、これとそれとを結び付け症状をより顕在化させる場合があるのではないかと想定できる。また、身体的脆弱さは無くても「組織が損傷しているかも知れない」という警戒認識[1]によって防御反応が躍起される可能性も十分あり、この「攻撃対象が明確に存在しない」防御反応は自身の身体を攻撃し出す・・・アトピーにみられる「確たるアレルゲンが確認されないのにも関わらずアレルギー反応が起こり自らの体組織を損なう働きをする」の [4] と本源的に類似している作用機序による症状を顕在させる可能性も想定される。
  9. これは「負のプラセーボ効果」だと考えて良いのではないか?
  10. 「負のプラセーボ効果」だとの想定が正しいならば、これを打ち消すプラセーボが有効ではないだろうか?と、「これは脳内のカットオフ設定を是正する薬です」と宣言して偽薬を処方することで改善する例が出てくるのではないか?と期待される。 [5]

幸いつい最近に以下のように「プラセーボはプラセーボとわかっていても効果がある」という報告もあるので、症状を訴える人に偽薬である事実を隠したり違う目的であるかのように偽って服用させる必要はない。
http://www.reuters.com/article/2010/12/22/us-placebo-idUSTRE6BL4IU20101222 [6]

また、偽薬を処方することは医師法で認められている。

社会実験として、以上の目的、意図を明確に示して希望者に偽薬を服用してもらう実験を大規模にしてみてはどうだろうか?
当然予想される事態として、幸いにこの予想が的中して症状が改善する人が有意な数以上出た場合に一番困る勢力である「低線量被曝による健康被害を喧伝している人達」「内部被曝の影響を特別、または誇大に喧伝したい人達」が、「非人道的行為」とか「被爆者をモルモットにするのか!」とか言い立てて猛反対するであろうが、上述の通り「目的、意図を偽らずに明示し」かつ「希望者に対して」行うのであるから倫理的にも道徳的にも問題はない。
実際問題は「希望者が名乗り出てくるかどうか怪しい」という可能性はあるとは思うが、同じプラセーボである除染に兆単位の税金が注ぎ込まれることを思えば、こちらの方が遥かに低コストで実現できる。何なら医師会に協力を要請して、この件の処方箋料は無料(診療費は取って貰って良いように思う)、製薬会社にも協力して貰って偽薬を無償提供して貰うというのはどうだろうか?
勿論、社会実験をする以上、その効果が有意にあったかどうかをきちんと確認しなくてはいけないので、訴える症状が本当にあるのか、どの程度のどういった症状なのかを事前に調べてから行う必要があるので、訴え自体が虚偽であった場合、これを沈黙させる効果も期待できる。


——–[ 脚注 ]—————-
  1. 一例『サイエンスZERO No.365 シリーズ 原発事故(3)「低線量被ばく 人体への影響を探る」2011年11月12日放送』で明確に述べられていた
  2. 「判断」「認識」と言っても自我意識が認知しているという意味でのそれではない。
  3. これを「誤」覚知と呼んで良いのかどうかは議論のあるところかも知れないが。
  4. アトピー体質の人の多くはアレルギー体質でもあるということは知られており、どこまでが心理因(脳のプログラム・チューニングの問題)であるかは峻別し難く見解は混迷しているままであるので、全てが心理因であるかように誤解しないように注意されたし。
  5. アトピーと同じく、器質因も備えている人は一定数以上含まれるであろう。ので、大多数の人の症状改善という虫のいい話はないだろうが、一定以上の有意な結果が出るなら、これで十分意義がある。
  6. 勿論これだけを根拠にプラセーボに過大な期待はしてはいけないのかも知れないが、社会的コストが少なくて済むと見越せるので行なってみる価値はあると考える。

放射線研究、生物学の専門家の方へお願い

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専門家もしくは専門家発表の論文等の情報をご存じの方へお願い。

以下の情報を知りたく、もし存在するなら、その情報自体または情報へのアクセス手段をご教授下さい。

  • 「人体への健康リスク」を基準としてした場合(同程度の人体への健康リスクで見積もった場合)の、
  • 「放射性物質」
  • 「石炭燃焼に伴う廃棄物(排煙等も含む)」
  • 「石油燃焼に伴う廃棄物(排煙等も含む)」
  • それぞれの、自然環境へ暴露された場合の、
  • 生態系全体への悪影響度の評価

冷戦のツケをこんな処で払わされそうとは

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以下ページに池田信夫氏が要約を載せているが直訳過ぎて、『放射能と理性』を読んだ人ならこの直訳でも誤解無いだろうが、読んでいない人には誤解を受ける可能性があると思われますので老婆心ながら意訳を試みるというか、解説を交えた読み下しにします。参考まで。
(当該インタビュー上でアリソン教授が語っていない付加された文言は、『放射能と理性』を読んで私が理解した内容から付加したものです。また字幕も結構ラフなので英語が聞き取れる人は英語を聴くようにして下さい)
尚、そのままでも差し支えないと判断した部分はそのままにしてあります。

池田信夫 blog : 原発の被災者は帰宅させよ
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51753116.html

  • 被災地に見られたのは被曝の恐怖。問題は被曝自体ではなく、被曝の恐怖。これはICRPの勧告が誤っていることが起因している。
  • 冷戦時代には、冷戦構造および核の配備を正当化するために殊更に「核の恐怖」が過剰に喧伝された。これ故(人々の恐怖心も過剰に醸成された故)許容被曝線量をできる限り低くすること・・・自然界のレベルになるべく近づけないと人々を安心させることは出来なかった [1] 。この要請から出てきたのがICRPの勧告である。
  • 今は虚構ではなく現実的に「深刻なリスクなしにどこまで高い放射線が許されるか」ということを考えるのを要求されている。
  • この現実的ケースで想定される許容被曝線量は現在の1000倍ぐらい高い。
  • その現実的想定で考えれば帰宅できる。避難している人々は全員帰宅すべきだ。
  • 日本政府はICRPに従って年1~20ミリシーベルトを基準にしているが、これはバカげた低い基準だ。
  • 毎月100mSv、つまり年1200mSv、現在の1000倍が適切だ。ICRPの勧告を変えることが私の重要な仕事だ。
  • LNT仮説は、「針の上で何人の天使が踊れるか」というような神学論争。医療の現場では、放射線を何回にもわけて照射している。これは閾値があることを前提にしている。

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LNT仮説について知らない人は以下を参照してみて下さい。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/search?q=LNT%E4%BB%AE%E8%AA%AC

——–[ 脚注 ]—————-
  1. つまり核配備を正当化するために「1000倍誇大に核の恐怖を煽ったがために、安全基準も1000倍誇大にしないとバランスが取れなかった」という虚構基準であるということ

除染問題とイジメ

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 あまりに下らない内容の番組(ニュースも含む)が多いので、あまりTVを観なくなっているのだが昨日久々にニュースを観ると、除染することがいつの間にか既定路線になっていて、どの範囲を除染するのか、除染する基準値の話になっている。
[1]
文科省の航空機モニタリングによる空間線量マップ(8月28日現在)

池田信夫氏などが何度も指摘しているように、福島第一原発のごく近い範囲(以下マップの赤色および半径10km圏内)を除くと健康に害をもたらす可能性は事実上ゼロ [2]・・・つまり除染の必要など無い(除染を正当化する科学的根拠は無い)のにも関わらずだ。
 よく落ち着いて考えてみて欲しい。国や地方自治体が動き出すのを待てずに自腹で自宅を業者に頼んで除染している人が散見されるというニュースを。
洗い流した汚水は下水道を経由して最終的には河川に流されるので、もし危険なレベルで放射性物質がそこに在るのなら国または自治体がこれに待ったを掛ける筈である。

池田 信夫:除染の前にLNT仮説の見直しを : アゴラ
http://agora-web.jp/archives/1381861.html

日本の「被曝限度」は厳しすぎる:日経ビジネスオンライン
オックスフォード大学ウェード・アリソン名誉教授インタビュー
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20111012/223166/

放射能と理性 なぜ「100ミリシーベルト」なのか (著)ウェード・アリソン 除染を正当化する科学的根拠は無いという点に関しての詳細情報は引用したページ(及びそこからリンクしている関連ページ)を参照して頂くとして私のしたい話は別の処にあります。
除染をして欲しいという福島県中心および近隣地域の人の気持ちは人情として分かります。何か得体の知れないものが付着している環境で暮さないといけない気味悪さ、気持ち悪さ [3]

 しかしよくよく考えてみると、科学的根拠が無い・・・つまり「実害が無い」もの・・・にムードや気分(つまりは感情=主観)で拒否反応しこれを忌み嫌う行動様式というのは、学校等で「○○キモい!」 [4]とイジメの行動の一環で「ああ!この鉛筆○○が触ったから、もう使えないわ!」と言ってゴミ箱にポイと捨てる、「この席、○○が座ったから座るの嫌だ!」と言って違う場所に座る・・・などの行動様式と根っこの部分で一緒だということです。
これは当然、風評被害を醸成するもの(マインド)にも当て嵌まります。
「風評被害だ!」と自分たちが被害者側に回るケースに於いては言い立てておいて、その同じ口で「除染!除染!」と言っている、そのご都合主義さに気づいて欲しいのです。
論理的にそうする正当性がないのに排除・排斥をしようというのは当然「差別」とも密接に関連します。

 この原因として福島第一原発事故の遥か以前から家庭衛生商品を売っているメーカーが「滅菌・殺菌商品」を売る一環で「身の回りには目に見えないけども、これだけ沢山のバイ菌が在るんです! [5]」とCM内で、CMを出稿している番組内で取り上げさせて人の恐怖心を煽って、これに付け込んで商売をしているというのも挙げておくべきかと思います。
身の回りに目に見えない多くの細菌が棲んでいることは嘘ではありません。事実です。 事実ですが、では、これがどの程度を超すと健康に悪影響があるのか、逆にどの程度までは事実上無害で気にする必要が無いのかという話は綺麗サッパリ抜け落とさせて、「細菌=汚い、不衛生=身の回りから排除すべき」というイメージ誘導をしているという点に注意を払わないといけないのです。
 少し本題から逸れますが大事なことなので記述しますと、「細菌類は問答無用に排除すべき」という考え方は医療現場でも過去のものになってきています [6]。 イソジン等の消毒液は人体に共棲している定在菌まで殺してしまう事から寧ろ傷の治りを遅くしたり、傷の治り具合が汚くなるなどが判ってきていて、褥創(いわゆる「床ずれ」)などにも生理食塩水または精製水で洗浄するのがスタンダードになってきています。 また、身の回りの細菌も、掃除機を掛ける、拭き掃除するという常識的程度以上に滅菌、殺菌しない方が、程良く細菌が居ている方が(特に乳幼児の場合)免疫作用が日常的に程よく刺激されることから寧ろ健康に益するということが判ってきています [7][8]

 話を本題に戻して、福島県中心に近隣地域に微量とは言え放射性物質が降り注ぎ残存しているのは事実です。が、この量は冒頭に述べた通り大半の地域で健康に悪影響が出る可能性は事実上無視出来る程度の小さなものです。
 この「小さな差異」を許容出来るかどうかの問題。 このマインドの問題は先に述べた通り「差別」を醸成し助長するのと共通するマインドの問題です。

 経済的問題 [9]として除染に反対し警鐘を鳴らしている知識人は多く居ますが、これは心理学的観点での問題でもある点を私は指摘したいのです。

——–[ 脚注 ]—————-
  1. 文科省の航空機モニタリングによる空間線量マップ(8月28日現在)より引用
  2. 塩分の摂り過ぎ、肥満など日常的にありふれたリスクを下回るので事実上無視出来るという意味
  3. これ自体無知から来ているものだという点には注意を払って欲しい
  4. ○○にはイジメの対象の個人名が入る
  5. 細菌という言葉よりバイ菌という言葉を好んで使っている点に注意
  6. イソジン等の消毒液を傷口に消毒に使っている不勉強な医師は未だ残っていますが
  7. 犬猫等を飼っている家庭とそうでない家庭との比較で疫学調査をした結果アトピー発症に有意な差があった。など。但し、何れもアトピーが発症してから後にその環境にした場合の有意性はかなり低下するとされる
  8. 余談の余談ならが、微量の放射線は寧ろ健康増進なるという説もあります。また、上述の細菌類と免疫の関係からの(少し飛躍した)類推仮説として「限度を超えない範囲での微量の放射線に曝されている方が、それに相応する体内の防衛機序は寧ろ高まるのかも知れない」と言える気がしないでもないです。
  9. 除染費用は将来世代に重く伸し掛かる負担であり、これ以前に既に莫大な財政赤字(借金)を抱えているのに加えて負担増をするのは言語道断

買い占めなど誰もしていない、のに何故か品薄なのは

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TV等のニュースで「買い占め」または「買い溜め」と、これ自体が誤解に基づいているだろう表現を使うから誰も自分が犯人の一人だと気付かずに事態が解決しないというのが真実みたい。

というのは、どうも買い占めや買い溜めに走っている自分勝手な人が居るのではなく(少しは居るでしょうが)、「ちょっと不安だから」と「いつもより一個余分に」買っている「普通の人が」多数居るのがどうも原因みたいだということらしいです。
心当たり在る人は少なくないのではないでしょうか?

これはつまり「広く薄く」が「数多く積み重な」れば「無視できないほど大きなものになる」という証拠ですので、これを裏返して「皆がほんの少し我慢」すればどうなるか想像力を少し働かせればわかると思います。

 あなたができる被災地支援は義援金や物資供出だけではない。

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