“本丸”としての労働市場改革:書評『デフレーション』 — 城 繁幸 : アゴラ – ライブドアブログ http://agora-web.jp/archives/1525128.html

「希望」と「不安」は、やじろべえの左右の錘(おもり)の如く。光と闇の如く。
一方が弱れば他方も存在が薄くなる。

不安の芽を事前に摘んで最小化するのが好いことだと信じた結果、実は希望も最小化しているという現実。
両者が上述の通りの相補関係にあると知っていれば実に当たり前なことなのだが。

相補関係にあるのでこの全く逆も真なりで、希望をやたらと膨らましすぎるのも悪い結果になる可能性「も」脹らませていることになるので両者をバランスさせていくのが肝心と、ここまではわかるのだが。
ところが実際のところ、悪い結果になるか良い結果になるかはやってみるまではわからないから事前に最小化することよりも、悪い結果になった場合事後的に被害を最小化もしくはリカバリーする知恵と工夫の方にエネルギーを使った方が現実的であるというところに帰結する。 前者よりも後者の方が被害者実数も少なく、被害総量も少ないであろうと想像に難くない。
事前に最小化することに執心する人は悪い結果になった場合、往々にして「なかったこと」にしようとする。起こったこと自体は消せるわけは当然ないので、責任追及できる適当な他所の村社会をターゲットにしてこれに全てを負わせて自分たちの村社会は守ろうとする。

ある村社会を非難・バッシングしているのはほぼ間違いなく自分たちの村社会を守ろうとしている人たちであるに過ぎない。