動機の純粋性

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当然ながら心理学的にも避けて通れないテーマである。

池田信夫 blog : 特攻作戦を生んだ「動機の純粋性」 – ライブドアブログ
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51789174.html

「動機の純粋性」に感動・共鳴してしまう、 “青臭い” [1] 美意識は誰しも持っていると思われる。 多分、これは万国共通で、この意味では日本固有の問題とは考えにくい。
ところが日本固有の問題と考えるをスルーできない現実が過去から今も出力されているという点。これは一体何なのか、何故なのか、と、ここが要点だろうと思われる。
一つには「平和だったから」論・・・欧州諸国は中世、千年の永きに渡って血で血を洗う戦争を繰り返してきた、これは単極の勝敗で物事が決しない長期戦 [2] なので長期的視野に立ったより戦略的な思考を必要とするということを経験を積み重ねていく内に学習した。そうなると短絡的な行動を起こしやすい傾向のある動機の純粋性で行動を起こす者は寧ろ邪魔なので淘汰されていったのだろう [3] 。この淘汰の機会をあまり持たなかったゆえ動機の純粋性で行動を起こす者が多く残っているというのである。確かに一理はあると思えるが決定打に欠ける感は否めない。
不覚にもソースをメモしておくのを忘れたので明記できない [4] のはご容赦願いたいが、つい最近(三ヶ月くらい前と記憶)に「攻撃性 [5] を抑制すると目されている遺伝子が日本人に於いて短いということが判った」「民族的または人種的に柔和だとされてきた今までの通説を覆す結果になるかも」というニュースに触れたのだが [6] 、これが事実であるなら、ここに一つヒントを見出すことが出来ると思われる。 日本人全体的に攻撃性が高いのであれば、それを一方的に悪視するのはどこかで無理が生ずる、かといって秩序維持の点から全面的に肯定するわけには当然いかない。で折衷案的に「動機の純粋性」という発露機会だけ肯定する代わりにその他のケースは全てダメという価値観醸成がなされてきたのではないか?と。 有り体に云えば、広くコンセンサスとして認められた「ガス抜き」の方弁。
つまり本源的には「集団内の秩序維持の為に攻撃性を抑制する仕掛けとしてのコンセンサス」の側面の意義の方が大事なわけだが、これが「日本人は柔和であるという“神話”」にいつしか摩り替わって普遍化してしまい「動機の純粋性」というのだけが目立って残ってしまった。そして、あたかも最初から「動機の純粋性」という美意識、価値観が独立してあったかのような錯覚をするに至った [7] 。というのが私の見立てである。

中韓だけでなく欧米諸国でも結構根強く、日本で再軍備議論が起こるなどに対して過敏に反応する警戒感があるのは、この実は結構強く持っている攻撃性に当の本人は全然自覚的でないという「自覚の無さ」があるからではないのか? という設問を立てると結構スッキリと納得が行くし、過去のエントリー「批判を非難と受け取る(勘違いする)人が多いのはなぜか」への補強説明にもなっている。[amazonjs asin=”4560082820″ locale=”JP” title=”「空気」の構造: 日本人はなぜ決められないのか”]

——–[ 脚注 ]—————-
  1. 良い悪い両方の意味
  2. 勝ってしまったが故に他の隣国との関係が余計に拗れるという事態は幾らでもあった
  3. 実際近年の研究で、十字軍遠征はこの正義感は強いが短絡的な動機の純粋性で動く厄介者を体裁の良い大義の下に追い出す意味があったのではないかという指摘が出てきている
  4. ご存知の方フォローお願いします_(._.)_
  5. 衝動性だったかも。この点記憶が不確か
  6. 論争、議論がすぐ喧嘩、罵り合いに発展してしまう多くの日本人を見ていて個人的には非常に納得がいくのである
  7. こういう本末転倒は歴史的にみても心理学的にみてもよくある

後出しジャンケンを認める国に外資は来ない

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大前さんにしては突っ込み不足という感が否めない。「大前氏にしては」だけど。

「米国化」が進む日本、いずれ「三つ子の赤字」に陥る | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉:日経BPオールジャンルまとめ読みサイト
 http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20130521/351344/

国内市場が成熟してくるに連れて国内企業が生産拠点を海外に移すなど「外に出て行く」のは(鎖国でない限り)必定なので、その分を外資に呼び込むことでバランスさせて国の経済を(雇用も)維持していく必要がある、という主要論旨は正しく、個人的にも異論はない。 が、その解決策が「外資を呼び込む工夫や取り組み」か?
いや、それらが必要でないと言いたいのではない、それはそれで必要であろう。
が、それ以前のもっと根本的問題として、2006年の最高裁判決に始まる貸金業への規制強化や、村上ファンドや堀江貴文氏を重罰に処したのにみられるまともに機能していない行政&司法(恣意的行政の影響下にある司法)、また合法的買収行為に対して「ハゲタカファンドから守る」と称して後出しジャンケンの防衛策(違法の疑いがある)を擁護してしまう行政 [1] ・・・「ルールのない国でビジネスはできない」という問題、これを放置したままで外資を呼び込む工夫や取り組みを行なっても功を奏するわけはない。
(同コラムの他の記事でこの点は指摘しているので大前氏が認識不足でないことは明らかではあるが)

参照:池田信夫 blog : 中国と日本のカントリーリスク – ライブドアブログ
  http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51810900.html

——–[ 脚注 ]—————-
  1. 行政が司法の役割までしてしまっている点も問題である

終身雇用というカルテルこそ問題

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何を言いたいのか意味不明。

非正規労働者のメーデー 「アベノミクスから雇用を守れ」(田中龍作)
– BLOGOS(ブロゴス) http://blogos.com/article/61392/

というか論理的に意味が通っていない。
推測で埋めて意味が通るように考えてみると、どうもこの田中龍作 [1] なる御仁の頭のなかでは「有期契約労働者(非正規)と無期契約労働者(正規社員)の差別は固定」されている信仰が大前提になっているみたいだ。
この大前提を置くと「無期契約労働者の労働条件が悪くなる [2] のなら、これに連動して有期契約労働者の労働条件はより一層悪くなる」という結論が導き出され意味が通るからだ。
実際のところは、

池田信夫 blog : 非正社員の敵はどこにいるのか
– ライブドアブログ http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51854369.html

で池田氏が述べている通り、今まで異常に厚遇され過ぎてきた無期契約労働者の「厚遇さ」が無くなるだけなのだ。 更には(池田氏は「社員を雇いやすくすること」とサラリと述べているだけだが)「解雇しやすくなること」と「雇いやすくなること」はコインの裏表の関係であると言っているのである。
「資本家というものは強欲で労働者から搾取することしか考えていない」と条件反射するマルクス・レーニン主義的洗脳頭では「そんなことはあり得ない」と認識され思考停止「リストラをすれば企業の内部留保は増え株価はあがる」という風が吹けば桶屋が儲かる式の乱暴な三段論法に納得してしまうようだが、普通に考えて、人を雇わないと仕事が回らない企業に於いて雇うことを減らすだけで内部留保が増えて株価が上がるなら従業員全員を解雇した企業の経営者はウハウハで笑いが止まらないということになるが、実際には(考えなくても分かる通り)その会社は潰れるだけである。

簡単な算術で、今まで100万円の月給で90人雇っていた企業がこれを止めて月給30万円で人を雇い直したとしたら、単純計算なら100万円×90人=9000万円→9000万円÷30万円=300人雇える計算になる。 実際には例えば「人件費が軽くなる分の30%は商品(サービス)の提供価格の値下げに回させて貰うとして」と経営者が考え、9000万円×0.7÷30万円=210人ということになったり、「いやウチの仕事は300人も人員が要らない、150人で充分」と9000万円÷150人=60万円(先の30%経費削減策を実施しても42万円)ということになったりするだろうが、何れにしても雇う人数が増える傾向または、無期契約労働者を厚遇し過ぎた皺寄せで必要以上に買い叩かれていた有期契約労働者 [3] の給与水準が上がる傾向が強く見込めることは分かるはず。
「そんなの希望的観測に過ぎない」という声が聞こえてきそうだが、必要以上に(蓋然性を逸脱した)安い給料で人を雇おうとしたする企業が現れても [4] 結局は充分な人数もしくは能力を備えた人員を確保できなくて適切な水準まで給与設定を上げざるを得なくなる。市場原理とはそういうものだ。 著しい薄給で雇わないと経営が成り立たない会社は当然潰れる。これも市場原理である [5]
現段階までは無期契約労働者の給与の下方硬直性が著しく在るので、市場原理は有期契約労働者の方への皺寄せとしか働いていなくて、だから上辺だけを見れば「市場原理=悪」と映りやすいのはわからなくもないが、実は問題は市場原理の方ではなく、市場原理が公平に機能しない元凶の一つである無期契約労働者の給与の下方硬直性の方なのであり、これを確固たるものに担保する終身雇用(無期契約労働)という考え方自体なのである。 上の給与下方硬直性に手を着けずに最低賃金水準を上げる発想をするのは雇用自体の海外流出を促進するだけで有害無益である(給与下方硬直性を改善した上ならばそれなりに意味はある)。
当然この「給与の下方硬直性」に守られてきた「無期契約労働者」たちはにとっては労働条件は間違いなく悪化するので反対の声を上げる。やれ「市場原理主義=悪」だの「労働者搾取」だの「労働者階級差別」だの、、、さも、これまで虐げられてきている有期契約労働者の「仲間」であるかのような口ぶりで。(都合の良い時だけ「労働者」というバズワードで被害者の仲間ぶって自分達の特権を強化してきたヤツラは、また同じ手を使おうとしている)

——–[ 脚注 ]—————-
  1. 「田中龍作」でサクッとググってみた(https://www.google.co.jp/search?client=safari&rls=en&q=%E7%94%B0%E4%B8%AD%E9%BE%8D%E4%BD%9C&ie=UTF-8&oe=UTF-8&redir_esc=&ei=QX2FUdrpPI-ViQfb4ICABA)ところ「貧困ビジネス」の方のようである。「貧困ビジネス」とは、弱者の味方のフリをして生計を立てている輩・・・おまんまの食い上げになるので弱者が居なくなると困る・・・を指すバズワード。福島瑞穂、上杉隆などが典型例
  2. 今まで実質不可能だった解雇ができるようになるだけだが
  3. 実際には大企業の皺寄せを同じく受ける身の中小零細企業も含む
  4. 過渡的現象として現れる可能性はある
  5. 露骨に好ましくない労働条件が社会から淘汰されることは労働者にとっては喜ぶべきことである。「雇用が減る」と云ってこういう類を生き残らせるのは本末転倒

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