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大阪市では他に類を見ない心理カウンセリングとして 夢分析 を行なうセラピーです。自分の生き方、見失いかけている本来の自分を見つけ出すのに最適なセラピーです。


 変えられないものを受け入れる心の静けさを
  変えられるものを変える勇気を     
 このふたつを見分ける英知を与えたまえ  
ラインホールド・ニーバー

あなたの心は物語を常に欲しています。それは「あなたの」そして「あなたが “過去と未来と” “取り囲む世界と” 繋がっていると教えてくれる物語」を。「わたしを物語化」できるとこころは安定します。
夢というのは寝ている最中に脳が物語化をを摸索してる様子の断片が記憶に残ったもの。だからこれを分析することが自分の物語化を助けることになるのです。
処が人間には主観が強く働いていますので、自分に都合が悪いところは無視したり、思い込みによって客観性を失った・・・自己イメージが過剰な人は実際以上に良いように、卑下した自己イメージの人は現実離れして悪く解釈しがちです。
また、人というのは本源的に群棲動物ですので「私=個」という意識が強くなった現代人に於いてが特に、「個性」と「集合性」の自己内での葛藤が常に存在し、これのバランスをどう取るかというのが一大テーマとして(好む好まざるに関わらず)背負わされています。
であるので、「物語化」に於いても「自分さえ納得していれば他人がどう思おうが関係ない」と言える範囲と、そうでない範囲との線引き、及び(両者は全く無関係ではありませんから)うまく両者を結び付けれる工夫、知恵のようなものが必要です。
その為の心理学、その為の夢分析であると私は考えます。

庄司拓哉

 


生活保護を白眼視しても意味はない

ご本人も「正論」と云う全くその通り。

Joe’s Labo : 週刊東洋経済 「65歳定年の衝撃」にインタビュー掲載中
http://blog.livedoor.jp/jyoshige/archives/6239208.html
> 出生率が2.0を割り現状の社会保障制度が維持できなくなるのが明らかとなったのは70年代。
> そのときすでに選挙権がありながら何も変えようとしなかった人間の年金を支払うために
> 選挙権の無かった人間がワリを食うのはおかしいだろう

70年代と聞いて直ぐに思い浮かぶのは、社会党、共産党を支持母体とする所謂「革新系自治体」が日本各地に誕生し“揺りかごから墓場まで”の英国方式が理想のように喧伝されていた [1] の時代であり福祉元年と銘打って保守政党(とされる)である田中角栄内閣が高福祉の方向へ加速させたこと、と同時に田中角栄内閣は御存知の通り「日本列島改造論」をぶち上げ地方への各種バラマキ政策によって東京、大阪、名古屋などの大都市への人口集中を止めた。こういう時代である。

三大都市圏への転入超過と実質GDP成長率の推移(参議院調査室資料より)

三大都市圏への転入超過と実質GDP成長率の推移(参議院調査室資料より)


増田悦佐氏が『高度経済成長は復活できる』で実証している通り、その後のバブル経済で一旦持ち直したかのように誤解している人が多いのとは裏腹に、この70年台の出来事から日本の経済成長は一気に凋落していたのである。一般には「オイル・ショックによって一時的に停滞しただけ」との説明が信じられているが、グラフで一目瞭然の通り「バブルというまやかしの時代」の部分を無視すれば70年代に低空飛行状態に入りバブル崩壊で壊滅状態になっただけ [2] [3]
あの当時は日本がやっと豊かになったという実感が人々に行き渡り、経済的に余裕があったのでその余裕分を、分配を不公平にしか享受できていないと主張する層(または地域)に「まぁ上げてもいいんじゃない? 僕の取り分が減るわけじゃないみたいだし」という気分に流されたのは仕方ないという言い訳はよく聞かれる。確かに、あの時代に今の年齢になっていたとして今できている分析のような冷静な判断が出来たかと言えば、かなり怪しい。だから今の視点から彼らを馬鹿呼ばわりすることはしないし、するべきではない(したところで鬱憤は幾らかは晴れるだろうが問題は何ら解決しない)。ただ、その「自分達が選択した」各施策が誤りだったと、単に誤りだったというだけでなくこれからの世代の足を引っ張り/搾取する仕組みになっているということが明らかになった今、その全てを返上しご破算にするのが道理というものだろう。有り体に言えば「自分(達)のケツは自分(達)で拭け」ということだ。
生活保護レベルよりは緩い基準で良いとは思うが、一定以上収入(預貯金、家賃収入、配当、資産運用収入 etc ありとあらゆる最終的に生活に充てられる金銭、資産)がある人には年金が受け取れないというルール改正にすべき。実際にはこういうルールにすると、まじめに働いて稼ぎがある人ほど貰えない公算が高いので保険料を払わなくなるに決まっているし、その運営コストも考え併せると、生活保護に一本化して、但し「65歳以上の者」は「実際に居住している持ち家」「日常の便に役する自家用車(贅沢品と見做せる二台目以降は除く)」は「生活保護受給資格認定対象から除外」というルールにするのが合理的 [4] 。(だから結局「負の所得税」が一番合理的なんだけどね)
この方式のメリットは「行政コストが大幅に節約できる」と「助ける必要のない高齢者へのバラマキをカットできる」で、ザッとした数字だが社会保障費約100兆円 [5] のうち、50兆円が年金、30兆円が医療費、それに対して生活保護費は3兆円という数字 [6] を見て、(不正受給者の問題はそれはそれとして放置すべきではないが)大局的にみて生活保護受給者叩きをすることと、どっちが重大な問題か一目瞭然だろう。当の高齢者および目前にしている世代が自分達の損になる論点から国民の関心を逸らせられる生活保護受給者バッシングを支持するのは或る意味合理的だが、若者世代にこの論調に乗っている人達が思いの外多いのはびっくりする。ハッキリ言えば莫迦。 一番最初に引用した城繁幸氏のコメントに戻れば、上の世代が犯した過ちを自分達も繰り返すのかと、上の世代に自分達が受けた酷い仕打ちを今度は自分達が下の世代に殺人パスして行くのかと。これではまるで、親から虐待を受けた人が親になった時に同じように子供を虐待する [7] という「負の連鎖」と一緒ではないか。

現行の生活保護制度は不正(および不正に近いと感じるもの)を抑制する仕組みは一切無いに等しく [8] 、経済学(心理学)的インセンティヴの観点で捉えた場合「働いて生活保護を脱却しようというインセンティヴ」への働き掛けは皆無で、寧ろ「働こうとせずに漫然と受給に安住していた方が得と思わせるインセンティヴ」が強く働く制度設計になっているこれはこれで大事な問題は別途ありますが、今日はこの辺で。

——–[ 脚注 ]—————-
  1. 実際には、この当時で既に英国財政は破綻寸前だったのだが
  2. 池田信夫 blog : 「就職氷河期」はなぜ起こったのか – ライブドアブログ
  3. 『戦後日本の人口移動と経済成長』参議院調査室第三特別調査室 縄田康光
  4. 通常の生活保護は、これら資産が在った場合、先ず処分して現金化しこれで食い繋げれるだけ食い繋いで、その上で無収入のままに至った場合にはじめて申請が受理される
  5. 2010年以降毎年100兆円を超えている
  6. 『生活保護費は増やしても良い。』中嶋 よしふみ
  7. その全てがそうなるということは当然ない。その傾向が本人が無自覚だと顕著になるという以上ではない。言わなくても分かっていると思うが念の為
  8. 非受給者から白眼視されるのを恥と感じる旧態依然とした今や機能していない古典的心理圧迫だけ。なので常軌を逸してバッシングが炎上するのであろう


日本人の理解していないコンセンサス

この医師を「酷い」呼ばわりする安易な感情論は簡単に人々の同情を引ける話題提示のしかたなのだろう。
問題は、受精卵 → 胎児の発達過程の「どこからを生命とするのか」の社会コンセンサスを確立する努力を怠ったまま放置しているからだと思う。

【風疹1万人超え】妊娠中感染「医師から中絶迫られた…」 – MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130618/trd13061822320013-n1.htm

わかりやすい例として「妊娠期間中に出産後障害に至るであろう可能性が高いと医学的に判断された場合は中絶すること(出産してはいけない)」という法律になっていたらどうだろう? (さらに…)


疑うのは何のためか

結論を最初に書いてしまえば「信じるため」です。「信じるに足るものは何かを見極めるため」です。

処が「疑うために疑う」人がなんと多いことでしょう。
これは心理学的考察によればそれなりの蓋然性があって、確証バイアス(Confirmation bias)と呼ばれるものの影響が強くあると考えられます。
確証バイアスとは、先んじて持っている何らかの心理的コンディション、これに合致またはフィットするものを優先的に重視し、かつ、正反対の否定、批判、反証するものを不合理に軽視または全く無視する心理作用のことです。これの厄介なのは、いま「心理コンディション」と書いたように、信念や信仰、信条のような既に強固に形成されているもののみならず、印象やムード、その瞬間の刹那的な感情にすら左右されるという点です。
つまり、疑い始めると、その「疑っているという状態」が既にバイアスとして働き出すのです。
だから、「何のために疑うのか」という大前提に自覚的でないと、疑うという心理状態自体を正当化する情報ばかりを選んでいってしまう。挙句、疑うという行為自体が正義であるかのような本末転倒。疑うという行為を行なっている自分が正義であるかのような錯覚(動機の純粋性の錯覚)に陥ってしまい、これがより確証バイアスを強め、、、という悪循環に。

全く疑わずに盲目的に信じてしまうのが愚かであるように、疑うだけで何かをしたつもりになっているのも同じく愚かです。


動機の純粋性

当然ながら心理学的にも避けて通れないテーマである。

池田信夫 blog : 特攻作戦を生んだ「動機の純粋性」 – ライブドアブログ
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51789174.html

「動機の純粋性」に感動・共鳴してしまう、 “青臭い” [1] 美意識は誰しも持っていると思われる。 多分、これは万国共通で、この意味では日本固有の問題とは考えにくい。
ところが日本固有の問題と考えるをスルーできない現実が過去から今も出力されているという点。これは一体何なのか、何故なのか、と、ここが要点だろうと思われる。
一つには「平和だったから」論・・・欧州諸国は中世、千年の永きに渡って血で血を洗う戦争を繰り返してきた、これは単極の勝敗で物事が決しない長期戦 [2] なので長期的視野に立ったより戦略的な思考を必要とするということを経験を積み重ねていく内に学習した。そうなると短絡的な行動を起こしやすい傾向のある動機の純粋性で行動を起こす者は寧ろ邪魔なので淘汰されていったのだろう [3] 。この淘汰の機会をあまり持たなかったゆえ動機の純粋性で行動を起こす者が多く残っているというのである。確かに一理はあると思えるが決定打に欠ける感は否めない。
不覚にもソースをメモしておくのを忘れたので明記できない [4] のはご容赦願いたいが、つい最近(三ヶ月くらい前と記憶)に「攻撃性 [5] を抑制すると目されている遺伝子が日本人に於いて短いということが判った」「民族的または人種的に柔和だとされてきた今までの通説を覆す結果になるかも」というニュースに触れたのだが [6] 、これが事実であるなら、ここに一つヒントを見出すことが出来ると思われる。 日本人全体的に攻撃性が高いのであれば、それを一方的に悪視するのはどこかで無理が生ずる、かといって秩序維持の点から全面的に肯定するわけには当然いかない。で折衷案的に「動機の純粋性」という発露機会だけ肯定する代わりにその他のケースは全てダメという価値観醸成がなされてきたのではないか?と。 有り体に云えば、広くコンセンサスとして認められた「ガス抜き」の方弁。
つまり本源的には「集団内の秩序維持の為に攻撃性を抑制する仕掛けとしてのコンセンサス」の側面の意義の方が大事なわけだが、これが「日本人は柔和であるという“神話”」にいつしか摩り替わって普遍化してしまい「動機の純粋性」というのだけが目立って残ってしまった。そして、あたかも最初から「動機の純粋性」という美意識、価値観が独立してあったかのような錯覚をするに至った [7] 。というのが私の見立てである。

中韓だけでなく欧米諸国でも結構根強く、日本で再軍備議論が起こるなどに対して過敏に反応する警戒感があるのは、この実は結構強く持っている攻撃性に当の本人は全然自覚的でないという「自覚の無さ」があるからではないのか? という設問を立てると結構スッキリと納得が行くし、過去のエントリー「批判を非難と受け取る(勘違いする)人が多いのはなぜか」への補強説明にもなっている。[amazonjs asin=”4560082820″ locale=”JP” title=”「空気」の構造: 日本人はなぜ決められないのか”]

——–[ 脚注 ]—————-
  1. 良い悪い両方の意味
  2. 勝ってしまったが故に他の隣国との関係が余計に拗れるという事態は幾らでもあった
  3. 実際近年の研究で、十字軍遠征はこの正義感は強いが短絡的な動機の純粋性で動く厄介者を体裁の良い大義の下に追い出す意味があったのではないかという指摘が出てきている
  4. ご存知の方フォローお願いします_(._.)_
  5. 衝動性だったかも。この点記憶が不確か
  6. 論争、議論がすぐ喧嘩、罵り合いに発展してしまう多くの日本人を見ていて個人的には非常に納得がいくのである
  7. こういう本末転倒は歴史的にみても心理学的にみてもよくある


後出しジャンケンを認める国に外資は来ない

大前さんにしては突っ込み不足という感が否めない。「大前氏にしては」だけど。

「米国化」が進む日本、いずれ「三つ子の赤字」に陥る | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉:日経BPオールジャンルまとめ読みサイト
 http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20130521/351344/

国内市場が成熟してくるに連れて国内企業が生産拠点を海外に移すなど「外に出て行く」のは(鎖国でない限り)必定なので、その分を外資に呼び込むことでバランスさせて国の経済を(雇用も)維持していく必要がある、という主要論旨は正しく、個人的にも異論はない。 が、その解決策が「外資を呼び込む工夫や取り組み」か?
いや、それらが必要でないと言いたいのではない、それはそれで必要であろう。
が、それ以前のもっと根本的問題として、2006年の最高裁判決に始まる貸金業への規制強化や、村上ファンドや堀江貴文氏を重罰に処したのにみられるまともに機能していない行政&司法(恣意的行政の影響下にある司法)、また合法的買収行為に対して「ハゲタカファンドから守る」と称して後出しジャンケンの防衛策(違法の疑いがある)を擁護してしまう行政 [1] ・・・「ルールのない国でビジネスはできない」という問題、これを放置したままで外資を呼び込む工夫や取り組みを行なっても功を奏するわけはない。
(同コラムの他の記事でこの点は指摘しているので大前氏が認識不足でないことは明らかではあるが)

参照:池田信夫 blog : 中国と日本のカントリーリスク – ライブドアブログ
  http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51810900.html

——–[ 脚注 ]—————-
  1. 行政が司法の役割までしてしまっている点も問題である


終身雇用というカルテルこそ問題

何を言いたいのか意味不明。

非正規労働者のメーデー 「アベノミクスから雇用を守れ」(田中龍作)
– BLOGOS(ブロゴス) http://blogos.com/article/61392/

というか論理的に意味が通っていない。
推測で埋めて意味が通るように考えてみると、どうもこの田中龍作 [1] なる御仁の頭のなかでは「有期契約労働者(非正規)と無期契約労働者(正規社員)の差別は固定」されている信仰が大前提になっているみたいだ。
この大前提を置くと「無期契約労働者の労働条件が悪くなる [2] のなら、これに連動して有期契約労働者の労働条件はより一層悪くなる」という結論が導き出され意味が通るからだ。
実際のところは、

池田信夫 blog : 非正社員の敵はどこにいるのか
– ライブドアブログ http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51854369.html

で池田氏が述べている通り、今まで異常に厚遇され過ぎてきた無期契約労働者の「厚遇さ」が無くなるだけなのだ。 更には(池田氏は「社員を雇いやすくすること」とサラリと述べているだけだが)「解雇しやすくなること」と「雇いやすくなること」はコインの裏表の関係であると言っているのである。
「資本家というものは強欲で労働者から搾取することしか考えていない」と条件反射するマルクス・レーニン主義的洗脳頭では「そんなことはあり得ない」と認識され思考停止「リストラをすれば企業の内部留保は増え株価はあがる」という風が吹けば桶屋が儲かる式の乱暴な三段論法に納得してしまうようだが、普通に考えて、人を雇わないと仕事が回らない企業に於いて雇うことを減らすだけで内部留保が増えて株価が上がるなら従業員全員を解雇した企業の経営者はウハウハで笑いが止まらないということになるが、実際には(考えなくても分かる通り)その会社は潰れるだけである。

簡単な算術で、今まで100万円の月給で90人雇っていた企業がこれを止めて月給30万円で人を雇い直したとしたら、単純計算なら100万円×90人=9000万円→9000万円÷30万円=300人雇える計算になる。 実際には例えば「人件費が軽くなる分の30%は商品(サービス)の提供価格の値下げに回させて貰うとして」と経営者が考え、9000万円×0.7÷30万円=210人ということになったり、「いやウチの仕事は300人も人員が要らない、150人で充分」と9000万円÷150人=60万円(先の30%経費削減策を実施しても42万円)ということになったりするだろうが、何れにしても雇う人数が増える傾向または、無期契約労働者を厚遇し過ぎた皺寄せで必要以上に買い叩かれていた有期契約労働者 [3] の給与水準が上がる傾向が強く見込めることは分かるはず。
「そんなの希望的観測に過ぎない」という声が聞こえてきそうだが、必要以上に(蓋然性を逸脱した)安い給料で人を雇おうとしたする企業が現れても [4] 結局は充分な人数もしくは能力を備えた人員を確保できなくて適切な水準まで給与設定を上げざるを得なくなる。市場原理とはそういうものだ。 著しい薄給で雇わないと経営が成り立たない会社は当然潰れる。これも市場原理である [5]
現段階までは無期契約労働者の給与の下方硬直性が著しく在るので、市場原理は有期契約労働者の方への皺寄せとしか働いていなくて、だから上辺だけを見れば「市場原理=悪」と映りやすいのはわからなくもないが、実は問題は市場原理の方ではなく、市場原理が公平に機能しない元凶の一つである無期契約労働者の給与の下方硬直性の方なのであり、これを確固たるものに担保する終身雇用(無期契約労働)という考え方自体なのである。 上の給与下方硬直性に手を着けずに最低賃金水準を上げる発想をするのは雇用自体の海外流出を促進するだけで有害無益である(給与下方硬直性を改善した上ならばそれなりに意味はある)。
当然この「給与の下方硬直性」に守られてきた「無期契約労働者」たちはにとっては労働条件は間違いなく悪化するので反対の声を上げる。やれ「市場原理主義=悪」だの「労働者搾取」だの「労働者階級差別」だの、、、さも、これまで虐げられてきている有期契約労働者の「仲間」であるかのような口ぶりで。(都合の良い時だけ「労働者」というバズワードで被害者の仲間ぶって自分達の特権を強化してきたヤツラは、また同じ手を使おうとしている)

——–[ 脚注 ]—————-
  1. 「田中龍作」でサクッとググってみた(https://www.google.co.jp/search?client=safari&rls=en&q=%E7%94%B0%E4%B8%AD%E9%BE%8D%E4%BD%9C&ie=UTF-8&oe=UTF-8&redir_esc=&ei=QX2FUdrpPI-ViQfb4ICABA)ところ「貧困ビジネス」の方のようである。「貧困ビジネス」とは、弱者の味方のフリをして生計を立てている輩・・・おまんまの食い上げになるので弱者が居なくなると困る・・・を指すバズワード。福島瑞穂、上杉隆などが典型例
  2. 今まで実質不可能だった解雇ができるようになるだけだが
  3. 実際には大企業の皺寄せを同じく受ける身の中小零細企業も含む
  4. 過渡的現象として現れる可能性はある
  5. 露骨に好ましくない労働条件が社会から淘汰されることは労働者にとっては喜ぶべきことである。「雇用が減る」と云ってこういう類を生き残らせるのは本末転倒


幸福とは何か・・・少なくとも「不安」が少ないことではない

“本丸”としての労働市場改革:書評『デフレーション』 — 城 繁幸 : アゴラ – ライブドアブログ http://agora-web.jp/archives/1525128.html

「希望」と「不安」は、やじろべえの左右の錘(おもり)の如く。光と闇の如く。
一方が弱れば他方も存在が薄くなる。

不安の芽を事前に摘んで最小化するのが好いことだと信じた結果、実は希望も最小化しているという現実。
両者が上述の通りの相補関係にあると知っていれば実に当たり前なことなのだが。

相補関係にあるのでこの全く逆も真なりで、希望をやたらと膨らましすぎるのも悪い結果になる可能性「も」脹らませていることになるので両者をバランスさせていくのが肝心と、ここまではわかるのだが。
ところが実際のところ、悪い結果になるか良い結果になるかはやってみるまではわからないから事前に最小化することよりも、悪い結果になった場合事後的に被害を最小化もしくはリカバリーする知恵と工夫の方にエネルギーを使った方が現実的であるというところに帰結する。 前者よりも後者の方が被害者実数も少なく、被害総量も少ないであろうと想像に難くない。
事前に最小化することに執心する人は悪い結果になった場合、往々にして「なかったこと」にしようとする。起こったこと自体は消せるわけは当然ないので、責任追及できる適当な他所の村社会をターゲットにしてこれに全てを負わせて自分たちの村社会は守ろうとする。

ある村社会を非難・バッシングしているのはほぼ間違いなく自分たちの村社会を守ろうとしている人たちであるに過ぎない。


批判を非難と受け取る(勘違いする)人が多いのはなぜか



ファスト&スロー (上): あなたの意思はどのように決まるか?ファスト&スロー (下): あなたの意思はどのように決まるか?それは殆ど心理的癖のようなものと言ってよく、カーネマンはこれをシステム1と呼んでいる。
議論とは相手を言い負かすことだと思っている人が多く、上記事実の認識なしに不毛な言い争い(彼らはそれを議論だと思っている)が多く展開されている。この裏返しとして純粋な批判を非難だと受け取り逆上したり無意味に傷付いたり凹んだりする人も多いのだと思われます。 RT http://goo.gl/w6ZMD @this_is_tack @georgebest1969

カーネマンのいう「システム1」はユングの云う「個人的無意識」とほぼ同義で、私自身の見解では「個人的無意識+下意識」。


コッポラの胡蝶の夢 [映画評]

この記事はfacebookのタイムラインに9/9に投稿したものに加筆修正した転載です。

立川志らくさんが大大大推奨してたのだが映画館での上映は結局東京の(名画座的な)一館のみで終わってしまい、仕方なくDVDは結構前に入手してたのだが、気軽に観れる映画ではなく迂闊に観ないほうが良いと思って今日に至っていた。
観られる条件(心情的なものも含む)が整ってやっと鑑賞した。

 良かった。

流石コッポラ。
流石ルーカスの師匠なだけあると思わせるルーカスに通底する構成のセンスを随所に感じた。

我々人間が「我」と思っている自我意識と呼ばれる(呼んでいる)もの自体が突き詰めればフィクションである。そのフィクションが実在だと思い込める一つの大きなファクターが「時間」。 時の流れというもの自体は存在はしているが、これを「時間」「時系列の流れ」としての体系と捉えるのは実は人間独自の「発明」で自然には存在しない。言い換えるなら、時の流れという本質的に捉えどころのないモノを「捉えられていると錯覚するためのトリック」、これが時間という発明である。

荘子の「胡蝶の夢」が言っているのはこういうことで、だから邦題に「胡蝶の夢」が入っているのだろう(たぶん、コッポラ自身のチェックが入っている。コッポラとはそういう人だから [1] )。

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——–[ 脚注 ]—————-
  1. 他言語の字幕を入れる時に、その字幕を台本にして送らせて(これを専任アシスタントが英語に訳したものを)一語一句チェックし、その言語でのその言い回しはどういうニュアンスかまで確認しつつ、自分の意図に沿った訳になっていない場合修正させる → これを納得するまで繰り返す。という作業を要求する人なのだそうだ


Mac OS X 10.7 Lion プリンタ共有が正しく機能しない

拙環境は以下の通り。ですので違う環境の場合(特にプリンタが違うメーカーの場合)当て嵌まらない可能性はある情報です。

Mac OS X 10.7.4 Lion
プリンタ:Brother DCP-155C

遅れ馳せにパソコンのOSをMac OS X 10.7 Lionにしたところ、プリンタ共有が正常に作動してくれない事態になり、以下引用部の通りのフィードバックをAppleに送信した。

プリンタ共有を利用した場合、以下の通りのエラーが発生する。

  • USB接続でプリンタを繋いである親機(Mac OS X 10.7.4) に対して、
  • Mac OS X 10.6.8 搭載のMacからは「共有プリンタの追加(登録)が出来」かつ「プリントアウトも正常に行え」る。
  • Mac OS X 10.7.4 搭載のMacからは「共有プリンタの追加(登録)」自体から適正に出来ず。具体的には以下の通り。
    → システム環境設定:プリントとスキャン にてプリンタ追加をしようとする
    → 共有プリンタは認識されておりポップアップメニュー内に名前の表示はある
    → が、これを選択して登録をする操作を行うと、プリンタ情報を確認するために親機にアクセスしに行っている案内が出て暫く待たされた後「現在、サーバからソフトウェアをダウンロードできません。」とのエラー表示で終了する。
    → システム環境設定:プリントとスキャン にて「他のプリンタまたはスキャナを追加…」からプリンタ追加をする操作をすると
    → Bonjour 共有 と親機接続のプリンタはリストアップされている
    → が、クリック選択すると始まるプリンタドライバ探索の結果表示されるのは「一般的なPostScriptプリンタ」に(適正なドライバ選択がされない)。
    → 次に「プリンタソフトウェアを選択…」から手動でドライバ選択をしに行くと、ドライバは一覧に表示され選択も出来、正常にプリンタ登録が出来たように見える(左にプリンタがリストアップされているし)。
    → が、このプリンタ(設定)を使ってプリントアウトを実行するとプリントキューに「プリンタの状況を取得できません。」と表示されプログレスバーが走っている状態が延々続く(半永久ウエイトの状態)。プリントキューを削除して終了するしかない。

当初メインで使用のプリンタ「Brother DCP-155C」の側の問題かも?と思ったが、以下の理由でMac OS X 10.7.4 の問題だと判断。

  1. DCP-155Cは複合機で「スキャナ共有」も有効にして使用しているのだが、共有スキャナへのアクセスはMac OS X 10.6.8、Mac OS X 10.7.4 何れのMacからも正常に出来、スキャンを完了できる。
  2. 他のプリンタ:エプソンPM-A700、CUPS-PDF(PDF出力のバーチャルプリンタ)を共有設定して、子機からプリントを実行しようと一連の操作をした結果が全く同様であった。
サーバ機(親機):
iMac 21.5-inch, Mid 2010(3.06 GHz Intel Core i3)、メモリ:16GB 1333MHz DDR3、Mac OS X Lion 10.7.4
クライアント機(子機):
MacBook 13-inch, Mid 2009(2.13 GHz Intel Core 2 Duo)、メモリ:4GB 800MHz DDR2 SDRAM、Mac OS X Lion 10.7.4
MacBook Pro 15-inch(2.4 GHz Intel Core 2 Duo)、メモリ:4GB 667MHz DDR2 SDRAM、Mac OS X 10.6.8 ×二台

上記の通りMac OS X 10.6.x 子機からの出力はそもそも問題ありません。

このフィードバックを送信後あれやこれや調べつつ試行錯誤していたら解決策を見付けたので同様の問題に困っている方の参考になれば幸いと思い記事として残します。
これは暫定的な対処法であり裏ワザの可能性があります。また、将来のOSのアップデートで修正される可能性や、アップデートに伴いこの操作で実現できる状態が無効になる可能性もあります。
また、当方環境では問題なく使えていますが、ご自身の環境では上手く動かない可能性、何らかの不具合が出ないとは保証できません。あくまで自己責任ということでお願いします。

ウェブ検索で調べていると http://www.running-dog.net/2010/12/ios42airprint_cups.html のようなページに突き当たり「http://localhost:631 にアクセスすれば「Mac OS X のOS自体のプリント機能コントロール・パネル」にアクセス出来ると知り、これの設定如何では上記問題を解決できるかも知れないと思いあれこれいじっている内に解決策を見付けた次第。CUPS管理画面トップ

共有プリンタに繋ぎに行きたい子機での操作。 ブラウザを起動しURL欄に http://localhost:631 と入力しリータンを押下してアクセスします。初めてアクセスした場合「Web インターフェイスが無効になっています 〜」というメッセージが表示されますが、これの意味がわからない人は先に進まない方が良いということで敢えて詳述しません。

CUPS管理画面メイン
次に上の「Administrator」リンクをクリックすると次の画像の画面になります。
Server Settings 下の Advanced をクリックするとサブメニューが開く(次の画像)

cups_share_advanced
開いたメニュー「Show printers shared by other system」下の「CUPS」のチェックを入れる。
解説:「(同じネットワーク上の)他のシステム(コンピュータ)で共有されているプリンターを表示」という意味。で、通常 Mac OS X で共有されているプリンターのプロトコルは CUPS なので、これを表示させる設定にするわけ。(逆に言えばCUPSプロトコルじゃないプリンタだった場合は、この対処は当て嵌まらないかも?)
下の「Change Settings」を押せば設定が保存されます。 ブラウザ上での操作は以上。

CUPS共有プリンタ プリントダイアログ
以上の操作をすると(システム環境設定:プリントとスキャン での設定はスルーして)各アプリケーションからプリントアウトする操作をすると、プリンタ選択の選択肢の中に 菱形のマークが前に付いたプリンタが表示されていますので、これを選択してプリント実行すれば親機に繫がった共有プリンタに出力されます。
(下にMac OS X デフォルト機能で共有されたプリンタも表示されているのが見て取れると思います。こちらを選択したら冒頭の通りエラーになります)


iPhoneでQRコードを読み込ませてそのままお持ち帰り

昨日Appleストアに行ったら面白いシステムを導入している案内を受けた。

Apple Store

Apple Store (無料)
(2013.10.08時点)
posted with ポチレバ


予めApple ID にクレジットカード情報を登録している前提ではあるが、陳列してあるヘッドフォンとか「あっ、これいいな」と思って買う決心をしたら、レジに向かう必要はない(というか、そもそもAppleストアにはレジ・カウンターは存在しない [1] )、近くのストア・スタッフを探す必要もない。 iPhoneアプリの「Apple Store」を立ち上げてカメラに商品のQRコードを読み込ませて「決済ボタンを押すだけ」。 これで購入手続きが完了という具合だ。
商品に添付されているICタグを読み取って、購入済みなのを確認するので、ストア出口を出る時にセキュリティ・チェックに引っ掛かるという余計な心配もない。つまり、そのまま持ち帰れるということ。
(運悪く購入情報を処理しているサーバがダウンしていてセキュリティ・チェックに引っ掛かかってしまうという可能性はゼロではないが)

この秋にリリース予定の新iOSには決済システムが搭載されると既にアナウンスされている。これに向けての先行実験(実際に運用してみてノウハウを蓄積する)なのだろう。

2012年7月27日 04時06分 追記:

  • – Apple Storeの店内にいれば、EasyPayを利用してアクセサリをすぐに購入できます(iPhone 4またはiPhone 4Sが必要です)。
  • – Apple Storeの店内にいる場合は、スタッフを呼んだり、予約した内容の受付をしたり、スペシャリストやトレーナーとの待ち合わせができます。

アプリの説明で上記の通りになっており、Apple Store 店内に居ないと、そもそもこの項目自体がアプリに出てこないみたいです。

——–[ 脚注 ]—————-
  1. ショップのディスプレイ・テーブルの要所要所にキャッシュ・ディスペンス機能を仕込んであって、非公開のストア・スタッフ専用iPhoneアプリをスタッフが操作すると(Bluetoothe経由?)キャッシュ・レジスターとして機能するという、システムを採用している


これを危ないと感じない人はあぶない

日中戦争から太平洋戦争に突っ走っていった日本は、ナチスドイツのように凶悪な独裁者が居たのではない。
のに何故無謀な戦争に傾いていったのか?
それは深く考えずに目先の「かっこよさ」「威勢の良さ」で正義を語る愚かな大衆世論、威勢が良くてかっこいいのが正義だと共感してしまう幼児的正義観をもった大衆世論、これに政治家もマスコミ(新聞社)も迎合し流されていっている内に「これに逆らえない空気」が出来上がってしまって、気が付いた時には抜き差しならない状況になっていたというのが真相。大衆が安直に支持する正義は十中八九(いや99%)真の正義ではなく、この幼児的正義である。実はそう断言を簡単にできるほど正義とは簡単な問題ではない [1] が、少なくともそのくらいに警戒しておいた方が良いというのが先の大戦から得られた教訓である筈。

 

池田信夫 blog : 電力会社の社員に表現の自由はないのか – ライブドアブログ
 http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51800031.html

冷静かつ論理的に妥当なことを言ったら「腰抜け外交」とバッシングを受け、何らの裏付けもないけども威勢の良い(この意味でかっこいい)主戦論を唱えたら拍手喝采。という太平洋戦争前夜に取っていた行動と全く一緒というのは情けない程度では済まない、この朝日新聞およびこれに喝采を送る少なからずの人々


——–[ 脚注 ]—————-
  1. でなければサンデルがあれほど注目・評価されるわけがない

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