同邦人を誇りに思うのは良いのだが:錦織選手報道に感じる違和感より

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言い回しが挑発的とか突っ込みどころという綻びは随所にある、確かに。

「にわか」連中に告げる : 長谷川豊 公式ブログ 『本気論 本音論』
http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/40093043.html

綻びを突くことに執心しやすい人多いよね、日本って国は。綻びを指摘するこれ自体はまぁ良いとしても、これに執心するあまり幹の文意を歪曲して受け取り、その「言っていないこと」に猛烈に反発する人に絡まれて辟易した経験は一度や二度じゃないのでご同情申し上げます。
本題エントリーにあるニックコーチの「僕は褒めることしかほぼしないよ」という言葉の含意をよくよく考えられたし。

本題の方に戻って・・・
圭ちゃんは確かに素晴らしい、過去の試合ぶりと比較しても「化けた」と思わせる今大会の試合ぶり。
が、同じく今大会で「化けた」選手、それが決勝の対戦相手だったチリッチ。
何故に「力を着実につけてきた若者が大化けした! それも一人ではなく二人も! この素晴らしい若者二人の対決となった決勝は、この点だけでもエキサイティングじゃないか!」という扱いが出来なかったのかなぁという嘆息であり、その不見識さを指摘してる長谷川さんなんだけどなぁ。
全く同じこと・・・「圭ちゃんが素晴らしい試合を立て続けに見せてくれたことへの賞賛を惜しまないけど、同じだけ賞賛されて然るべきチリッチ選手の扱いが、同邦人の身贔屓を差し引いても小さ過ぎると思わない?」・・・を昨日の加熱報道を観つつ家族に言ってたので。

疑うのは何のためか

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結論を最初に書いてしまえば「信じるため」です。「信じるに足るものは何かを見極めるため」です。

処が「疑うために疑う」人がなんと多いことでしょう。
これは心理学的考察によればそれなりの蓋然性があって、確証バイアス(Confirmation bias)と呼ばれるものの影響が強くあると考えられます。
確証バイアスとは、先んじて持っている何らかの心理的コンディション、これに合致またはフィットするものを優先的に重視し、かつ、正反対の否定、批判、反証するものを不合理に軽視または全く無視する心理作用のことです。これの厄介なのは、いま「心理コンディション」と書いたように、信念や信仰、信条のような既に強固に形成されているもののみならず、印象やムード、その瞬間の刹那的な感情にすら左右されるという点です。
つまり、疑い始めると、その「疑っているという状態」が既にバイアスとして働き出すのです。
だから、「何のために疑うのか」という大前提に自覚的でないと、疑うという心理状態自体を正当化する情報ばかりを選んでいってしまう。挙句、疑うという行為自体が正義であるかのような本末転倒。疑うという行為を行なっている自分が正義であるかのような錯覚(動機の純粋性の錯覚)に陥ってしまい、これがより確証バイアスを強め、、、という悪循環に。

全く疑わずに盲目的に信じてしまうのが愚かであるように、疑うだけで何かをしたつもりになっているのも同じく愚かです。

女はムードに弱い?

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あなたはどう思われますか?
答えを先に言ってしまいますと、女はムードに弱くない、ムードに弱いのは寧ろ男のほうだ、こう私は思います。

どう思われたでしょうか、、、「うんうん」と頷いたでしょうか? それとも「そんなことはない! その証拠に女はデートする場所にしろ、エッチをする時にもムードを求めるではないか!」と反論したくなりましたか?
私見を述べれば、頷いた方の多くは女性で、反発を感じ反論したくなったのは殆ど男性でしょう。
「ムードに弱い」という言葉の意味するところの理解の仕方、適用範囲の差に、この二者の反応の違いの秘密があるように思います。
「ムードに弱い」という言い回しには「情緒的判断が何らかのかたちでムードの影響を受けやすい」という意味と「ムードによって不本意な結果に導かれやすい」という意味とが混在し、どちらに比重があるかは各人各様である、というのがホントのところでしょうが、大凡に前者の意味で「女性はムードに弱い」と言え、後者の意味で「女性はムードに弱くない」と言えます。

この二者の区別が出来ずに混同し、その気が全くない女性をムードで落とそうと、お洒落なカクテルバーに連れて行ったり、夜景の綺麗な所へドライヴに出掛けたり、涙ぐましい(しかし無駄な)努力を繰り返している男性諸氏は、少なくないのではないでしょうか?
”女性はムードでは落ちない!”この事を男性は肝に命じるべきです。 ムードで落ちる(と思える)女性は、既にあなたに好意を抱いているので、ムードに乗ってきてくれるだけです。
女性は恋愛に於いてプロセスを大事にします。 信用して良いひとかどうかを、じっくり観察するという事です。 この観察眼は、多くの男性諸氏が考えているより遥かに沈着冷静です。 実にクールです。 但し、勘違いしてはいけないのは、その判断は知的、論理的に成されるのではない、ということです。
ユングの言うところの感覚機能をフルに使い、感情機能で判断しますので、これは無意識下で、ある程度の持続性をもって成されます。 故に当の女性本人は、漠然とした「感じ」として認識しているに留まります。

この「何となくそう思う」というのも、心理学的には充分立派な判断機能であるですが、これが男性にはなかなか理解できない代物なのです。 経験的には「女の感は鋭い!」と知ってはいても、そのカラクリが判らないのです。 カラクリの判らないものを軽蔑する傾向を男性は持っています。 これは裏を返せば、自分の中のこの判断機能を軽蔑していることに他ならず、せっせと劣等感コンプレックス化を促進してゆくことになります。 いわゆる男らしい人が「女の感」を、その鋭さを認めつつも「結局のところ、それだけ動物に近いということだ!」とバカにするのは、この故です。 女性に言わせれば「動物並みにしか感を働かせることができないだけじゃない! その自分と同じとしか考えられない男のほうが、よっぽどバカよ。」という事になるでしょうか。
劣等感コンプレックスと云うものは、その劣等化された機能が憑依的に作用する、という特性を持っています。
「何となくそう思う」というのは、言い換えると「ムードを判断する能力」「ムードから読み取るべき情報をキャッチ出来る能力」と言って差し支えありません。
これが憑依的に作用した状態が「ムードに流される」というやつです。

女性全てが「ムードを判断する能力」に長けているわけではありませんが、総じてこの能力に長じていると考えて良いです [1] をし、男性全てがこの能力を劣等化しているとは限りませんが、総じてそうであると言えます。

女性は、意図的に作られたものも含め、ムードから読み取れるものを判断材料に、意志決定をしますから「ムードを大事にする」のです。 ムードを判断抜きに、そのまま受け取ってしまうのは男性のほうで、故に「ムードに流される」のです。
女性がムードに流されているように見える時は確かに存在します。 しかし、これは「流されている」のではなく、「流されてくれている」のであって、明確な意志が底の方に存在するのです。
ここの処を理解せずに、ムードを盛り上げる演出をすると、自らの演出に男性は酔ってしまい、独りだけ盛り上がってゆき(当の男性は女性も盛り上がっていると勘違いするのが常)取り残された女性は、逆にドンドン白けていってしまいます。
ムード演出にお金と時間を費やすより、女性に安心感を与える努力をしたほうが賢明です。

もう一度結論を言います、女性はムードに弱くない、ムードに弱いのは寧ろ男性のほうである。 女性は「ムードを大事にする」のだけである。

過去に「日記BBS」として掲載していたものから再掲

——–[ 脚注 ]—————-
  1. 所謂「優勢機能」で、優勢機能=ネオテニー度が高い ので後天的に洗練は幾らでも可能である代わりに手付かずで洗練を怠ると寧ろ劣等機能のそれよりも劣る。然るに躾、教育、自覚の低い女性は下手な男よりも質悪く下品なのである

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