先日のエントリーの続きです。

なぜいじめはなくならないのか « 心理学エッセイ | 物語り研究所「夢前案内人」

先のエントリーで「動物の世界を謙虚に観察すれば分かる通り、集団性動物でかつ高等生物ほどいじめの様式が確立される傾向にあり」と書いた。
動物行動学(生態学)に或程度以上詳しい人ならご存知の通り、動物の世界のそれは「いじめのパターンA」に対して、こういう反応を返すといじめ行動がストップする「対応するパターンa」が必ず存在し、この対によって集団の秩序が維持されているという「行動様式(行動のお約束)」が存在するのである。
だから、この「お約束」を守った行動をする限りにおいていじめがエスカレートすることはないのである。(「お約束」通りの反応を返したのに「お約束」に従っていじめ行動を止めなかった個体があった場合は、今度はこの個体が集団から総攻撃を受け排除される)

で、実は、この行動様式は人間でも同じなのだが、「いじめのパターンA」に対して「対応するパターンa」を返すという「お約束」が厳格に守られている社会は部族社会で、西洋近代啓蒙主義的には「野蛮」で「劣った社会」とされる。この「西洋近代啓蒙主義的」つまりは「西洋中心主義」な価値観なので、これが真に普遍的に正しいかどうかは疑問の余地は大いにあるのだが、現代日本の社会はこの西洋近代啓蒙主義的価値観に則った社会に(一応)なっているので、この「お約束」を守る必要はないと考える個性を認める社会になっているのだということ、先ずこれは押さえておかないといけないポイント。これは所謂「個人主義」とほぼ同義だと考えて差し支えない。

ところが、いま先の文に「一応」と括弧付きで書いた通り、そのマインドというかメンタリティは依然として古い部族社会的な人が結構な数残存しているという・・・もしかしたら私も含めて完全に払拭できていない人の方が圧倒的多数なのではないか?・・・中途半端にしか個人主義的マインドというものを理解していない人がかなりパーセント居るということで、つまり
「お約束」を必ずしも守らなくても良いという自由を認める社会を形成しておきならがら、「お約束」を守らない人に対応する対応の仕方を編み出していない(許容するマインドを持てていない)人がかなりパーセント居るという拗れた状態を孕んでいるのが現在の日本社会なのである。

いじめがエスカレートする理由、またはいじめを悪いことだと(理性的にわかっているのかどうかは関係なく)実感として理解していない人というのは、「お約束」を守らない(お約束通りの行動をしない)奴の方が悪いという感覚をどこか腹の底に持っているので、だから「お約束」に従った行動を取るまでいじめを止めない(止めれない)のである。本能的で動物的だと言えば確かにその通り。
しかし、ここまで書けばご察しの通り、日本の社会ほど「お約束」好きで、「お約束」を守る予定調和を好しとする社会は近代化した社会ではないのである。

「お約束」とは半ば以上「暗黙の了解」または「空気を読むことの強要」なので個性を認め尊重する個人主義とは対極にあるものである。
だから、

  1. 「お約束」を守って平和、そのかわり個性は著しく認められない社会
  2. 個性を認める代わりに「お約束」は最早存在しない、つまりパターン化した行動では生きていけない社会

このどっちを選ぶのか?という選択を曖昧にして先送りしてきたツケが回ってきているのだという認識を多くの日本人は持った方がよい。
與那覇潤氏『中国化する日本』の概念を借用するならば前者は「(再)江戸化」、後者は「中国化」に該当するだろう。この意味でも與那覇氏の指摘・問題提起は正しいと思われる)

「個性の尊重」と言い出して遥かに久しい教育界ではあるが、このこと・・・「空気を読む必要なんかない」「空気を読むことを強いるのは悪」という教育をしてきたかしら?と考えれば直ぐにわかる通り、寧ろ「空気を読む達人たちの集まり」これが教師達だと言っても良く、だからこの彼らに「お約束」を守らない個性を尊重する大事さの認識は薄い、だから「いじめに気付かない」「(鈍感なので)いじめだと認識しない(この彼らですらいじめだと認識するのはかなり露骨なものだけ」ということになる。
この「いじめの本質にある問題性」を認識していない彼らの「いじめは悪いことです」「いじめを無くしましょう」というスローガンが空疎で欺瞞的なのも、ここまで説明すれば了解されると思う。
この点でも彼らを再教育する段階から始めなければならないだろうというのが私の考え。

404 Blog Not Found:臨床いじめ学の教科書 – 書評 – いじめの根を絶ち子供を守るガイド
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50403382.html
「なぜいじめが発生するか」という生理学的見地に関してはあまり述べられていないのだ。

答えというほど冴えても充分でもないでしょうが、僕なりに見解を出したわけですが、どうでしょうDanさん。