大飯三号・四号機にはベント機能自体がそもそも必要ない

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中途半端な知識で知ったようなことを、それも東京新聞・中日新聞論説副主幹という立場の人がこういう公性の高い場所で書くのは如何なものか。

フィルター付きベントも防潮堤もないのに「事故を防止できる対策と対応は整っています」と大飯原発再稼動に踏み切る野田首相。 政治と官僚の迷走、ここに極まれり! | 長谷川幸洋「ニュースの深層」 | 現代ビジネス [講談社]
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32792

以下の動画を観れば分かる通りPWR型(加圧水型)である大飯三号・四号機にはベント機能自体がそもそも必要ないのですよ。
より詳細に言えば、燃料棒に使われているジルコニウム量が少ない、格納容器が五倍のサイズである事などから、ベントが必要になるような状態の発生閾値が高い。言い方を換えるならば、ベントが必要になるような状態にもしなった時はベントどうこう以前に他の部分がもっと深刻な状況になっているの。 この点が、ベントを適切な段階で実施しないとより悪化した事象が発生するBWR型(沸騰水型)とは大きく異なる。

また「防潮堤云々」も、今回の福島事故というよりは東日本大震災から得られた教訓は、いくら高い(または強固な)防波堤、防潮堤を作っていても、無限に高い防波堤・防潮堤は作れないので、その想定を超えた津波が押し寄せれば何の意味も無いので、ここに金を注ぎ込むのはあまり賢いやり方ではない。それよりも水が押し寄せても大丈夫な作りにしておいた方が良い(浸水する前提で気密性・耐圧性を上げておいた方が安全面、コストの両面で良い)ということなので、この観点での対策は少なくとも大飯三号・四号機には施されている(と同ビデオを観ればわかる)。防潮堤の高さが十分であるか否かの議論自体があまり賢い議論でないのである。

まぁ日本のマスコミでは寧ろ当然に近い(というのは情けないのだが)、「”原発際稼働は危険”という結論にしたい意図」が先にあって、これを結論付けるためによく調べもしないで記事を書いているのだろうけども。

2012年7月2日 09:34 追記:entry後、普段観ない朝のワイドショーを観てたら、大飯三号・四号機に「フォルター付きベント機能を付ける予定になっている」そうな。飲みかけたコーヒー吹いた! 先述の通りPWR型にはベント機能は実質的に意味がない。だから付けていないのだが、これをきちんと技術論理的に説明をすることよりも、意味の無いベント機能を付けて気分的に安心する大衆に迎合したことのようだ。アホか。 いや実際アホだ。 工業系学校で学んだ人は元よりちょっとした以上の工作をしたことのある人なら知っていることだが、一旦完成したものに後から手を加えて造作をすると必ず強度&整合性は低下する。それが精密な精度を要求されるものであればあるほど、この強度低下は結構デリケートな問題になる。こんなこと工学的常識。 雰囲気として(科学的根拠の無い)安心を得たい人々に迎合することを完成度の高い原子炉の強度を犠牲にして実現しようとする。これを愚行と呼ばずして何と呼ぶ!

反|脱原発しても全然安全になんかならない

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先ずこの動画を見てほしい。この中で印象的なのは「日本人って何でこんなにだらしないのか。と。あれだけの事故を起こしながら反省もしていないし新しい組織も作っていないし、新しいやりかたを”これだ”と示していない」という部分。
つまり大前氏の言わんとしていることは、大小に関らず事故・トラブルが起こった場合に、その原因、問題点を論理的・理性的に分析して改善、改良に繋げるのが理性的大人の取るべき行動であって、誰が悪いだ誰のせいだと吊るし上げる対象探しをするのは子供のすることだということだと言ってよいだろう。 後者は一見「責任追及」であるかに見えて実は「俺は悪くない」「私は悪くない」と責任回避の自己保身の行動である側面の方が強いのである。今、日本のマスコミ(特に朝日)、そしてマスコミの論調に同調して正義漢ぶっている人たちの取っている行動はこれであるという自覚を持った方が良い。責任追及しているつもりになれて、かつ自己保身出来る実に都合の良い態度なのだと。

さぁ、それで本題であるが、、、殊、原発問題に関しては橋下氏の近視眼的対応(というより反応)は目に余る。日本復興計画 Japan;The Road to Recovery
以前から大前研一氏の本を読んでいたみたいだし、また池田信夫氏のブログを読者であるらしいし、つい先頃池田氏とtwitter上で意見の交換を活発にしていたりもしたので、それなり以上の的確な情報は把握していたと思われるのに、再稼働問題を含む原発問題に関してのコミットメントは稚拙の一言・・・小学生並みの正義感である。
もっと先を見越した時局判断のできる人だと思っていたのだが、買被りだったのか。

原則論を言えば、池田氏の指摘するようにエネルギー行政に地方自治体の長が兎や角言える法的権限はない(意見を述べる自由はあるという意味の権利はあるが)。中央政府であっても、国会審議を経た法律改正、特別立法等の手続きを踏まないで恣意的に原発稼働を差し止めることは違法(贔屓目に言っても脱法)行為である。この点は押さえておく必要はある。

それはそれとしても直接的行使力はなくとも、関西連合または維新の会として意思表示してオピニオン(世論)をリードすることには大いに意味があるので、では、じゃあ、どういうオピニオンを発信して行けば良いのかという話であるが。

なぜ安全性を自分たちで担保しないのか | 物語り研究所「夢前案内人」

以前のこのエントリーで既に述べた通り「実際問題安全性が確保されているのかどうかが大事」なのであって、「なんとなく怖い」という子供の情緒論に同調することではない。
因みにであるが、反原発派、嫌原発派の人も憶えておいて欲しいのが「稼働していようが停止状態であろうが原発の安全度(危険度)は同じ」である点。機械工学的見地を入れれば「動いている方が寧ろ安全」とさえ言えるという点。
そして以下に引用するH2Oプロジェクトの詳細分析をみれば分かる通り、関電管内の(少なくとも大飯3号機、4号機)に関しては十分安全が担保されているということ。

English trans-script is available on all these Videos bellow.



  • TeamH2O発表「福島第一原子力発電所事故から何を学ぶか」最終報告 資料(約13MB)
    ⇒ http://pr.bbt757.com/pdf/conclusion_111227.pdf
  • TeamH2O発表「福島第一原子力発電所事故から何を学ぶか」最終報告 補足資料
    (全プラント比較:約290KB)⇒ http://pr.bbt757.com/pdf/apdx_chronology_and_power-loss.pdf
    (教訓の適用可否:約438KB)⇒ http://pr.bbt757.com/pdf/apdx_applicability_to_pwp.pdf
  • Press Release – What should we learn from the severe accident at the Fukushima Dai-ichi Nuclear Power Plant?
    ⇒ http://pr.bbt757.com/eng/

この点は明白な事実である。

問題は同上エントリーでも書いた通り

経産省の「原子力行政全般に対する不信」がその正体なのだと分かろう筈。 であるならば、幾ら改善策を施そうが、また、その改善策が実際に有効なものであっても、これを国民から信用されていない経産省、原子力安全・保安院の方を向いて行なっている限り、一般市民からの信任は得られる筈はない。

国および電力業界が信用を失っているのが事実であるが、この付和雷同世論に同調して「お前ら信用できないから(原発の運転も)信用できない」というレベルの低い循環論法を展開するのではなくて橋下氏および維新の会は、原発再稼働を前提と宣言した上で「但し、その代わり市民を説得できるに十分な状態を作り、かつ、この情報を100%開示せよ」と関西電力にプレッシャーを掛ける戦法(協力姿勢を示しつつプレッシャーを掛ける「敵対的協力戦法」)を取るべきだったのだ。 十分な裏付けのあるデータを基に人々を説得するのは橋下氏の得意とするところではなかったのか?

どうも、ここまでのところを観察する限り、原発再稼働に反対の人が多数派だと橋下氏は本気で思っているきらいがあるが、ハッキリ云おう「それは大いなる誤解。勘違いも甚だしい」と。若しくは「あなたの取り巻きに偏った意見の人が集まり過ぎているのではないですか?」と。

これが断言できるのは簡単な話で、詳細な分析による科学的データなど要らない。
大阪市中を見回して、節電をしているのは役所と付き合いのあって仕方なく協力している組織、団体、企業、「お願い」という名の「行政指導」に従わざるを得ない企業だけであって、一般家庭で節電協力をしている人は、イデオロギー的にそっち方面の人か、朝日新聞の熱心の読者だけである。
大阪の人間は「実際的」である。よく利己的と勘違いされることがあるが「実際的」なのである。合理的必然性があると判断されたら、ちゃんと節電協力する。それがないから協力しない。ただそれだけである。
この市民の行動を「既に答えは出ている」と受け止めれないのなら政治家として失格だよ、橋下くん。

あなたが今まで批判し、敵に回してきた人達というのは、「サイレント・マジョリティ(寡黙な多数派)」の意向を見抜こうとせず「ラウドネス・マイノリティ(声の大きい少数派)」の圧力に屈するという安易な道を選んできた既成政党であり既存政治家だったのじゃないのですか? 彼らが安易な道を選んできたことで、世の中「既得権益者得」「利益誘導巧者得」になってしまったのを打破し、改革するために大阪知事になり、維新の会を結成し、知事を辞して大阪市長になり、してきたのではないのですか?

少し前にその発言が物議を醸した古賀氏の云ったのとは全く別の意味で「停電テロ」は起こるかもよ。
それは大半の市民による「原発停止したままで居てられると云うならやってみろよ。節電協力なんか絶対にしないから。夏の電力消費ピーク時に停電になったら、その時が見物だね」というかたちで。
これの責任を関西電力の方へ持って行くのはお門違いだと言っておく。 橋下くん君達の責任だからね。

今からでも遅くない、「180度方向転換して、原発再稼働:その代わり安全監視機関を国主導ではなく地域主導で作ること」 → つまり「自分達の安全は自分達で確保維持していく」という方針に舵を切るべきだ。

本当に安全を考えるなら、老朽化しているだけでなく設計思想の古い(古過ぎる)炉は廃炉して新型の炉に立て替えていくべきだ。まだ実用段階には無いが第四世代の原子炉なら大阪の街中に建設しても全然問題ないと僕個人は考えている。 実際、使い道に困っている遊休地は埋め立て地にいっぱい在るのだし。 ある程度以上のリスクを伴っているテクノロジーは、自動車然り、航空機然りで「リスクをコントロール下に収めることで致命的な事態に至らないようにする」ことが定石であり、リスクを遠ざけることは逆に致命的な事態が起こることの予見性を失くす(視野の外にやることなので)ということを、もっと皆は知っておくべきだ。

CHINE • Bill Gates se branche sur le nucléaire | Courrier international
http://www.courrierinternational.com/article/2011/12/08/bill-gates-se-branche-sur-le-nucleaire
ビル・ゲイツ氏が中国の原発に関心 中国で提携先を模索 2011/12/12(月) 14:57:33 [サーチナ]
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=1212&f=business_1212_199.shtml

先頃流れたこのニュース。個人的には「中国に先を越された!」と思ったのだが、これに中国に先んじて手を挙げるべきだったのだよ橋下くん。 池田信夫氏に頼めばビル・ゲイツと話し合う場を設けるくらいはして貰える筈だから、依頼してみてはどうだろうか?

本題よりも重要かもしれない補記: 上に引用のH2Oプロジェクトの詳細分析の中で非常に気になる、看過できない点として「全電源喪失について検討するべきか?」との東電からの問い合わせに対して「考慮に入れなくてよい」と原子力安全委員会が返答している(福島の事故以前の話)という点。 全電源喪失状態が長時間続くと燃料損傷、炉心溶融することは、少なくとも10年前から原子力技術者の間では常識化している(庄司調べ)ので、こんなナンセンスな問い合わせをする東電も東電であるが、これに「検討の必要なし」と答える原子力安全委員会も原子力安全委員会である。 この点はきちんと責任追及されるべきであるのだが、この情報を伝えているマスコミは皆無(反原発の朝日ですら)なのは、どういうことであろうか? この一点を取上げても、彼は(安心という情緒論を振り回すだけで)真剣に安全を追求するつもりなど更々無いのだと言って良いだろうと思う。

The Enemy Within

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ソースごと丸々コピー。・・・って、引用の域を遥かに超えて「他人の褌で相撲を取る」以外の何物でもないのだけど、
恐らく「読んでほしい人はリンクをクリックして(新たなページを開いて)まで行動を起こしてくれない」と思っちゃう(単なる老婆心?)ので [1] 、こういう手段に出させて頂きます。無作法ご勘弁を > 弾さん<(_ _)>
(一番読んで欲しい人は、そもそも本サイトに興味すら示さないだろう、、、と言ってしまえば身も蓋もないけど)

MixClips経由で見つけた記事なのだけど、実はWikipediaのコピペ。

これってどこのPOP*POPだよと思いつつも、内容そのものは面白いので超訳的注釈をしてみることに。ただし私は心理学と社会学は筒井康隆に教わった点をよろしく割引のほどを。


  1. バンドワゴン効果 Bandwagon effect – 周囲の人が信じていることを、自分もいつの魔に信じてしまう効果
  2. 偏向の盲点 Bias blind spot – 自分自身の認識偏向(cognitive bias)は放置するという傾向。
  3. 選択支持偏向 Choice-supportive bias – 自分が選んだものは、そうでないものよりもよく見えるという傾向。
  4. 確認偏向 Confirmation bias – 思い込みを支持する情報ばかり確認したがるという傾向。
  5. 合同偏向 Congruence bias – 仮説の検証の際に、直接検証ばかりする傾向。補足すると、仮説Aの検証の際に、仮説Aの反証がありえないかの確認を怠る傾向。
  6. 対照効果Contrast effect – 直近に受けた別の出来事の印象によって、その出来事の印象が実際以上に強く感じられたり弱く感じられたりする効果。
  7. 専門バカ偏向 Déformation professionnelle – 自分の専門分野からの視点が強すぎて視野が狭くなるという傾向。
  8. 反確認偏向 Disconfirmation bias – 以前からの思い込みに反する情報をシカトしてしまう傾向。
  9. 所持効果 Endowment effect – いったん自分のものとなったものは、それ以前よりも価値が高く感じられるという傾向。
  10. 焦点効果 Focusing effect – ものごとの特定の一面を注視してしまうという現象。一事が万事効果。.
  11. 双曲線割引 Hyperbolic discounting – 直訳スギ失礼。明日の100万円よりも今日の100円を大事だと思う傾向。なぜ双曲線なのだろう。反比例の曲線から?
  12. 支配幻想 Illusion of control – ものごとは支配可能か、そうでなくても何らかの影響を与えることは可能だと思い込む傾向。
  13. 衝撃偏向 Impact bias
    ある出来事の将来への影響を過剰に見積もる傾向。たとえば「犯罪の増加」など。
  14. 情報偏向 Information bias – もう行動を変えるには遅すぎるのにもかかわらず、その行動に関する情報を集めてしまう傾向。
    「インフォメーションバイアス」とはちょっと違うようだ。受験の後に参考書を読むようなこと。
  15. 損失回避 Loss aversion – 収益を得るよりも損失を回避する方に注力する、すなわち機会損失を軽視したがる傾向。
  16. 確率無視 Neglect of probability – 不確定な状態において、確率を軽視または無視する傾向。
  17. 「おなじみ」効果 Mere exposure effect – ただ見慣れているというだけで、根拠のない好感を感じてしまう傾向。
  18. 省略偏向 Omission bias – 同じだけ害がある場合でも、害のある作為の方が害のある不作為よりも悪いことだと感じてしまう傾向。
  19. 「勝てば官軍」偏向 Outcome bias
    ものごとを、当時おかれた状況ではなく、その後の成り行きで判断してしまう傾向。
  20. 計画錯誤 Planning fallacy – 締め切りを甘く設定しまう傾向。[ごめんなさいごめんなさいごめんなさい>各方面]。
  21. 入手後正当化 Post-purchase rationalization – 手に入れた後に、それを手に入れたことは正しかったのだと自分を納得させる傾向。配偶者とか:-p
  22. 疑確定性原理 Pseudocertainty effect – 収支予想が黒字の場合にはリスクを避けるのに、収支予想が赤字の場合リスクを取りに行こうとする傾向。安物買いの銭失い。
  23. 選択認知 Selective perception – 期待を認知に反映させてしまう傾向。「がんばれ、ニッポン」とか?
  24. 現状追認 Status quo bias – ものごとはそれほど変わらぬ方がいいという傾向。壊れてもないもの直すべからず
  25. フォン・ラストルフ効果 Von Restorff effect – 違うものは似たものより覚えられやすいという効果。田中一郎よりR.田中一郎の方が覚えられやすいということだろうか。
  26. ゼロリスク偏向 Zero-risk bias – 100のリスクを10にしてリスクを90下げるより、1のリスクを0にする方を好むという傾向

うーん、全部それなりに思い当たるのだけど、26も覚えてられるかという私はFocusing Effectが強すぎるのかしらん。

でも、一番秀逸なのは、コメント欄のこれかも。

26 Reasons What You Think is Right is Wrong

This makes me think that Wikipedia is therefore wrong:

http://www.otherworldvision.com/why-wikipedia-will-never-reach-quality/

So, what’s wrong with thinking them right if they are all wrong anyway :-?

Dan the Biased — Usefully, Hopefully

もちろんのこと、自分自身への戒めとして公然としておく次第です。

追記:2012年3月14日18時50分 改題

——–[ 脚注 ]—————-
  1. 読む必要が無い人はたぶん、もうとうの昔に同エントリーのことは知っているだろう・・・2007年05月のエントリーだもんね

恐れるべきは恐怖に憑依されること

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32年も前に発っせられていた警句が、今頃になって我々の心に突き刺さるとは、、、ニール・ピアトさん脱帽です。

“Witch Hunt (Part III of Fear)”
Lyrics by Neil Peart

The night is black
Without a moon
The air is thick and still
The vigilantes gather on
The lonely torch lit hill

Features distorted in the flickering light
The faces are twisted and grotesque
Silent and stern in the sweltering night
The mob moves like demons possessed
Quiet in conscience, calm in their right
Confident their ways are best

The righteous rise
With burning eyes
Of hatred and ill will
Madmen fed on fear and lies
To beat and burn and kill

They say there are strangers who threaten us
In our immigrants and infidels
They say there is strangeness too dangerous
In our theaters and bookstore shelves
That those who know what’s best for us
Must rise and save us from ourselves

Quick to judge
Quick to anger
Slow to understand
Ignorance and prejudice
And fear walk hand in hand…

拙訳:
月灯りひとつなく暗い夜の闇
動かない空気は重苦しく
自警団員たちはひとつになって
ただ松明だけが斜面を照らす

かたちが歪んで見えるのは揺らめく灯りのせいなのか
その表情はグロテスク
うだるように暑い夜の「静けさ」と「情け容赦無さ」
暴徒は悪魔に取り憑かれたように進み
良心は沈黙し、“正義”の前におとなしくなる
この選択が最善と確信するゆえ

憎悪と病的意志に燃え上がる瞳には
いよいよ正しいとしか映らない
狂人たちは恐怖と嘘を喰って生きる
打ち倒し、焼き払い、殺すことを手段にして

人々は言う「我等を脅かす異分子が居る」と
“異邦人”“異教徒”というだけなのに
人々は言い立てる「危険過ぎる正体不明がそこにある」と
“劇場”“書店の棚”に(在る知識であるのに)
何が我々にとって最善かを知っていると称する人々は
きっと我々を暗愚から救い、導いてくれるに違いない

安易に怒り、安直に裁く
そのくせ理解するのは遅い
無知と先入観と恐怖は
いつも手と手をとりあって歩いていく

Moving Pictures
Studio album by Rush (wikipedia: Rush(band))
Released:February 12, 1981
June 3, 1997 (remastered CD)
Recorded:October – November 1980 at Le Studio, Morin Heights, Quebec
Genre:Progressive rock, hard rock
Length:40:07
Label:Anthem (Canada), Mercury
Producer:Rush and Terry Brown
http://en.wikipedia.org/wiki/Moving_Pictures_(album) より


プラセーボ投薬社会実験の提言

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問題が出るわけない低線量被曝で「鼻血が出やすくなった」「激しい咳を伴う症状が出るようになった」と、そして「これが内部被曝の影響だ」と言い出す人が後を絶たない。中には「医療機器で体内から多くの放射性物質が測定された」言い出す人も出ている。
そもそも事実無根のデマである可能性も当然あるわけだが、今論じたいのはこの点ではない。
また、この医療機器と称するものが本当に信頼性のある医療機器として担保されたものであるどうか自体疑わしいわけ(もし仮に医療機器自体は確かなものであっても精密医療機器というのは大概がそうだが、適正な操作手順で執行されたかどうかもかなり大事)だが、この点も論点ではない。
仮にこれらの A群:「鼻血が出やすくなった」「激しい咳を伴う症状が出る」、B群:「体内から多くの放射性物質が測定された」 という事象は事実であったとしてしても、AとBが同時期に観察されたからといって、この二者間に因果関係があるということにはならない。因果関係はもとより相関関係のあるなしも何ら証明されていない。また、相関関係が仮に証明されたとしても、これは因果関係を証明したことにはならない。また、体内必須物質として放射線核種の物質を(被曝とは無関係に)我々人間は保持(摂取)しているので、体内から放射性物質が検出された = 被曝によるもの とは言えない。(以下も参照)
http://www.mri-jma.go.jp/Dep/ge/ge_report/2007Artifi_Radio_report/cover.htm
http://case311.miraikan.jst.go.jp/home/docs/radioactivity/1104121558

低線量被曝(月間100mSv以下とする)では長期的に健康被害が出るかどうかも疑わしく況してや短期的に健康被害が出ることは有り得ないと知っている科学リテラシーの或程度以上ある人には、以上の説明で充分である。極めて慎重な見解に拠ったところで「きちんと相関関係のあるなし、因果関係のあるなしを調べてみた方が良いですね」と言うところまでだろう。
処がこれらの訴えをする人達というのは、この説明では全然納得しない。また、論理的に説明、説得を試みても殆ど徒労に終わるであろう。(だからとて論理的説明を怠ってはいけないが)

心理の専門家を標榜している私としては識者の皆さんが行ってきているのとは別の観点からの提示をしたい。

前提として彼等の訴える事象自体は嘘ではない、そういう事象があることは事実だとして、
また、それが生物学的、医学的に健康に問題を起こすほどのものではないと言えるにせよ被曝(内部、外部両方の)が或程度在ることは事実であるので、
以下のように仮説を想定することが出来ると考える。

  1. 低線量被曝の場合、そのほぼ100%は多重に備わっている自己修復機能で生体レベルの影響(健康を害するという結果)には繋がらない事は判っているが、と同時に、遺伝子レベルでは極めて低線量であっても一定量の遺伝子の損傷は起こることも判っている。(遺伝子レベルでは「LNTモデル」が成り立つのに生体レベルでは成り立たないということ → 閾値の存在する強力な根拠になっているわけだが。 [1] )
  2. 身体の各部位が察知、検知した情報は全て脳が受け取っているわけだが、我々人間に限らず或程度以上の脳を備えている生物に於いては、受け取った情報を全て真に受けずに或程度以下の雑情報をノイズとして無視するカットオフ値が設定されている。
  3. このカットオフ値の設定は器質因であるよりかは「脳のプログラム・チューニング」次第であると考えられる。
  4. 遺伝子レベルの損傷も逐一脳には情報伝達されているであろうと考える方が自然で、それをイチイチ覚知しないのは脳のカットオフ設定によって無視されているからと考えるのが妥当。
  5. 「そうじゃないか?」と思う心理が強く用意されると通常より遥かに感覚が鋭敏になるという事象があることは多く観察されている。(清潔恐怖症などの強迫神経症が代表的)
  6. これは、そういう心理作用の影響で脳のカットオフ値が下げる場合があるのではないか?という推定ができる。つまり、この脳のカットオフ設定は「△μv 以下の信号は無視」のような一律カットオフではなく脳がそれぞれの重要度、優先度を判断して軽重を付けているものと考えられる(脳による判断 [2] の介入する余地があるということ)。
  7. 被曝が一切無くても遺伝子損傷は、低線量被曝によるより遥かに沢山の頻度で日常的に発生してるので、脳のカットオフ値が下がった場合を想定すると、非常に多くの信号を脳が受け取る結果「組織が損傷しているかも知れない」という誤覚知 [3] を脳が形成する可能性が考えられる。
  8. 脳というのは「辻褄合わせの名人」と呼べる側面を有しており、誤覚知と辻褄の合わせられる顕在潜在両面での身体的脆弱さが在った場合、これとそれとを結び付け症状をより顕在化させる場合があるのではないかと想定できる。また、身体的脆弱さは無くても「組織が損傷しているかも知れない」という警戒認識[1]によって防御反応が躍起される可能性も十分あり、この「攻撃対象が明確に存在しない」防御反応は自身の身体を攻撃し出す・・・アトピーにみられる「確たるアレルゲンが確認されないのにも関わらずアレルギー反応が起こり自らの体組織を損なう働きをする」の [4] と本源的に類似している作用機序による症状を顕在させる可能性も想定される。
  9. これは「負のプラセーボ効果」だと考えて良いのではないか?
  10. 「負のプラセーボ効果」だとの想定が正しいならば、これを打ち消すプラセーボが有効ではないだろうか?と、「これは脳内のカットオフ設定を是正する薬です」と宣言して偽薬を処方することで改善する例が出てくるのではないか?と期待される。 [5]

幸いつい最近に以下のように「プラセーボはプラセーボとわかっていても効果がある」という報告もあるので、症状を訴える人に偽薬である事実を隠したり違う目的であるかのように偽って服用させる必要はない。
http://www.reuters.com/article/2010/12/22/us-placebo-idUSTRE6BL4IU20101222 [6]

また、偽薬を処方することは医師法で認められている。

社会実験として、以上の目的、意図を明確に示して希望者に偽薬を服用してもらう実験を大規模にしてみてはどうだろうか?
当然予想される事態として、幸いにこの予想が的中して症状が改善する人が有意な数以上出た場合に一番困る勢力である「低線量被曝による健康被害を喧伝している人達」「内部被曝の影響を特別、または誇大に喧伝したい人達」が、「非人道的行為」とか「被爆者をモルモットにするのか!」とか言い立てて猛反対するであろうが、上述の通り「目的、意図を偽らずに明示し」かつ「希望者に対して」行うのであるから倫理的にも道徳的にも問題はない。
実際問題は「希望者が名乗り出てくるかどうか怪しい」という可能性はあるとは思うが、同じプラセーボである除染に兆単位の税金が注ぎ込まれることを思えば、こちらの方が遥かに低コストで実現できる。何なら医師会に協力を要請して、この件の処方箋料は無料(診療費は取って貰って良いように思う)、製薬会社にも協力して貰って偽薬を無償提供して貰うというのはどうだろうか?
勿論、社会実験をする以上、その効果が有意にあったかどうかをきちんと確認しなくてはいけないので、訴える症状が本当にあるのか、どの程度のどういった症状なのかを事前に調べてから行う必要があるので、訴え自体が虚偽であった場合、これを沈黙させる効果も期待できる。


——–[ 脚注 ]—————-
  1. 一例『サイエンスZERO No.365 シリーズ 原発事故(3)「低線量被ばく 人体への影響を探る」2011年11月12日放送』で明確に述べられていた
  2. 「判断」「認識」と言っても自我意識が認知しているという意味でのそれではない。
  3. これを「誤」覚知と呼んで良いのかどうかは議論のあるところかも知れないが。
  4. アトピー体質の人の多くはアレルギー体質でもあるということは知られており、どこまでが心理因(脳のプログラム・チューニングの問題)であるかは峻別し難く見解は混迷しているままであるので、全てが心理因であるかように誤解しないように注意されたし。
  5. アトピーと同じく、器質因も備えている人は一定数以上含まれるであろう。ので、大多数の人の症状改善という虫のいい話はないだろうが、一定以上の有意な結果が出るなら、これで十分意義がある。
  6. 勿論これだけを根拠にプラセーボに過大な期待はしてはいけないのかも知れないが、社会的コストが少なくて済むと見越せるので行なってみる価値はあると考える。

御用学者の正体は?

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放射線被ばく基準の意味 : Global Energy Policy Research
http://www.gepr.org/ja/contents/20120109-01/

「A:無責任な発言をする人」 と 「B:責任ある発言をする人」 このどちらを信用しますか?

と訊かれて前者と答える人はまず居ないでしょう。

「2mSv余計に浴びると、200万人の福島県民のうち、がんで亡くなる人が200名増える」と言っていて、その通りにならかった場合、こう発言していた人は「そうならなくて良かったじゃない」と言うだけで済ませれる。責任を問われることはまず無い。
反対に「被曝量100mSv以下では日常的にありふれたリスクの方が大きいので、事実上問題は無い」と言っていて、その通りにならなかった場合、こう発言していた人は間違いなく責任を問われる。

つまり責任を問われる(かも知れない)リスクを負って発言しているのは後者である。
前者が責任を問われないだろうことは皆「実は知っている」・・・

どこかでみた風景だと思ったら、2009年秋に「新型インフルエンザが大流行する」「パンデミックが起こる恐れが、、、」「老人、子供を中心に死人が看過できない数出る可能性が、、、」などと厚生労働省、製薬会社、製薬会社の営業マンの云うことを鵜呑にした浅はかな(それも結構な数の)医師が、これのマッチポンプを毎度ながら演じたマスコミがパニック気味に大合唱していて、いざ蓋を開けてみたら大流行は確かにしたが、死人は203人であった。 203人というと多いと誤解する人も居るかも知れないが、新型でない通常の季節性インフルエンザの死者数は少ない年で10000人弱、多い年では15000人が亡くなっている(何れも超過死亡概念による推計死亡者数)。この時に、あれだけ不安を煽った厚生労働省、製薬会社、医師、マスコミのいずれかでも謝罪しただろうか? 謝罪していないどころか、マスコミも厚労省も「最悪の事態にならなくて良かった。良かった。めでたしめでたし」という論調で、製薬会社に至っては「売れずに大量に残ったワクチンの在庫をどうにかしてくれ」と “どの口でそれを言っている?” と言いたくなる、どいつもこいつも無責任極まりないまま有耶無耶に。 さすがに医師からは(但し、製薬会社の口車に乗せられずに静観していた医師)「あれは冷静な判断を欠いていた」「リスク管理という観点から外れていた」と反省の弁は幾つも発信されたが、これをちゃんと伝えたマスコミは皆無という状態だった。 [1]

「実は知っている」のになぜ多くの人は黙って(知らぬふりをして)いるのか? それは「責任を問われる心配のより少ない方へ加担したほうが自分の身も安全だから」である。 [2]
自分の身の安全の為に、勇気を以ってリスクのある立場に身を投じる人に「御用学者」「御用医師」レッテルを貼って済ませて良いのか?
自分の身の安全の為なら破綻寸前の国家財政にトドメを刺して、自分達が心配していると言っているその子供達の未来を暗澹たるものにしてしまう結果を招くことが正当化されるのだろうか?

レッテル貼りの一番危険なところは、レッテルを貼ること自体ではなく、レッテルを貼った瞬間以降思考停止を起こして「本当に正しいのだろうか(間違っているのだろうか)?」「事実はどこにあるのだろうか?」という自問自答を含む問いの公正さが著しく低下してしまう点である。
もう一度繰り返すが、「責任を負って発言」しているのはどっちか、よく考えてみて欲しい。

2012年1月18日13時51分:数字の誤記「誤:死者数は少ない年で1000人弱」を「正:死者数は少ない年で10000人弱」に訂正


——–[ 脚注 ]—————-
  1. 分かっている方には、これに始まった話ではなく「鳥インフルエンザ騒ぎ」「口蹄疫騒動」「BSE騒動」「ダイオキシン騒動」などなど枚挙に暇がないのだが
  2. 危険であることにしておいた方が補助金、助成金、除染という公共事業が懷に転がり込んでくるのでそうしている、より悪質な輩も沢山居るが

リスク管理とは:或る科学ジョークを引いて

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『原発危機と「東大話法」』:池田信夫氏「安冨歩氏への反論*」の分析(1)〜(5)
http://ameblo.jp/anmintei/entry-11132924003.html
リンクは(4)へのもの

池田信夫 blog : 安冨歩氏の知らないリスク・コミュニケーション*
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51767689.html

ニ氏のやり取りを一通り読んで、或る結構有名な科学ジョークを思い出した。

男性の数学者とエンジニアを女性と一定の距離で向かい合わせて
「じゃんけんで勝ったら、彼女との距離の半分進むことができる」と告げたら、
数学者は「それじゃあ永久にじゃんけんを繰り返しても彼女との距離をゼロにできないということではないか!」と半ば怒り調子で嘆いた。
かたやエンジニアは嬉々として「或程度回数じゃんけんに勝てば、望むことを実行するに実用上問題ない(十分な)距離まで彼女に近づける!」と言った。

「論理的にゼロと証明できないものはゼロではない」という点に拘って終始している安冨歩氏と、「実用上無問題とみなして良い」と主張している池田信夫氏という構図である。
主張していると言っても、ちゃんと(その他の関連する記事も含めて)読めば分かる通り、池田氏は主観的個人の意見を言っているのではなく、客観的信頼に足るデータを積み重ねてそう主張している。
更に安冨歩氏の主張する
「(1)低レベル放射線被曝による深刻な障害の発生を否定するデータはないので、安全側に立って判断すべきだ。」
「(2)浜岡原発周辺で大規模な地震が起きて事故になる可能性を否定するデータはないので、安全側に立って判断すべきだ。」
というのは一見すると尤もだと思うかも知れないが、科学リテラシーが一定以上ある人にはご存知の通りこれは「悪魔の証明」と呼ばれるもので・・・「ない」ものの証明は原理的に不可能で、背反するであろう「ある」ものの積み重ねによって間接的に証明するしかないが、これ自体「ないものを証明」したことには(実用上なっても)原理的にはなり得ない・・・これを要求している点。この要求をしている段階で「私は科学リテラシーが欠如しています」と宣言しているのと同義である点に注意しなければならない。
かたや池田氏は「背反するであろう「ある」ものの積み重ねによって間接的に証明」は充分以上にしている。

いま我々が必要としているのは「論理的にゼロかどうか」論ではなく、「実用上問題無いといえる線は何処かを見極めること」であることは、論じるまでもない話だと思うのだが。

リスク管理については以下が非常に有益な視点を与えてくれます

SYNODOS JOURNAL : 「ゼロリスク幻想」とソーシャル・リスクコミュニケーションの可能性 山口浩
http://synodos.jp/society/1764

冷戦のツケをこんな処で払わされそうとは

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以下ページに池田信夫氏が要約を載せているが直訳過ぎて、『放射能と理性』を読んだ人ならこの直訳でも誤解無いだろうが、読んでいない人には誤解を受ける可能性があると思われますので老婆心ながら意訳を試みるというか、解説を交えた読み下しにします。参考まで。
(当該インタビュー上でアリソン教授が語っていない付加された文言は、『放射能と理性』を読んで私が理解した内容から付加したものです。また字幕も結構ラフなので英語が聞き取れる人は英語を聴くようにして下さい)
尚、そのままでも差し支えないと判断した部分はそのままにしてあります。

池田信夫 blog : 原発の被災者は帰宅させよ
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51753116.html

  • 被災地に見られたのは被曝の恐怖。問題は被曝自体ではなく、被曝の恐怖。これはICRPの勧告が誤っていることが起因している。
  • 冷戦時代には、冷戦構造および核の配備を正当化するために殊更に「核の恐怖」が過剰に喧伝された。これ故(人々の恐怖心も過剰に醸成された故)許容被曝線量をできる限り低くすること・・・自然界のレベルになるべく近づけないと人々を安心させることは出来なかった [1] 。この要請から出てきたのがICRPの勧告である。
  • 今は虚構ではなく現実的に「深刻なリスクなしにどこまで高い放射線が許されるか」ということを考えるのを要求されている。
  • この現実的ケースで想定される許容被曝線量は現在の1000倍ぐらい高い。
  • その現実的想定で考えれば帰宅できる。避難している人々は全員帰宅すべきだ。
  • 日本政府はICRPに従って年1~20ミリシーベルトを基準にしているが、これはバカげた低い基準だ。
  • 毎月100mSv、つまり年1200mSv、現在の1000倍が適切だ。ICRPの勧告を変えることが私の重要な仕事だ。
  • LNT仮説は、「針の上で何人の天使が踊れるか」というような神学論争。医療の現場では、放射線を何回にもわけて照射している。これは閾値があることを前提にしている。

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LNT仮説について知らない人は以下を参照してみて下さい。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/search?q=LNT%E4%BB%AE%E8%AA%AC

——–[ 脚注 ]—————-
  1. つまり核配備を正当化するために「1000倍誇大に核の恐怖を煽ったがために、安全基準も1000倍誇大にしないとバランスが取れなかった」という虚構基準であるということ

除染問題とイジメ

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 あまりに下らない内容の番組(ニュースも含む)が多いので、あまりTVを観なくなっているのだが昨日久々にニュースを観ると、除染することがいつの間にか既定路線になっていて、どの範囲を除染するのか、除染する基準値の話になっている。
[1]
文科省の航空機モニタリングによる空間線量マップ(8月28日現在)

池田信夫氏などが何度も指摘しているように、福島第一原発のごく近い範囲(以下マップの赤色および半径10km圏内)を除くと健康に害をもたらす可能性は事実上ゼロ [2]・・・つまり除染の必要など無い(除染を正当化する科学的根拠は無い)のにも関わらずだ。
 よく落ち着いて考えてみて欲しい。国や地方自治体が動き出すのを待てずに自腹で自宅を業者に頼んで除染している人が散見されるというニュースを。
洗い流した汚水は下水道を経由して最終的には河川に流されるので、もし危険なレベルで放射性物質がそこに在るのなら国または自治体がこれに待ったを掛ける筈である。

池田 信夫:除染の前にLNT仮説の見直しを : アゴラ
http://agora-web.jp/archives/1381861.html

日本の「被曝限度」は厳しすぎる:日経ビジネスオンライン
オックスフォード大学ウェード・アリソン名誉教授インタビュー
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20111012/223166/

放射能と理性 なぜ「100ミリシーベルト」なのか (著)ウェード・アリソン 除染を正当化する科学的根拠は無いという点に関しての詳細情報は引用したページ(及びそこからリンクしている関連ページ)を参照して頂くとして私のしたい話は別の処にあります。
除染をして欲しいという福島県中心および近隣地域の人の気持ちは人情として分かります。何か得体の知れないものが付着している環境で暮さないといけない気味悪さ、気持ち悪さ [3]

 しかしよくよく考えてみると、科学的根拠が無い・・・つまり「実害が無い」もの・・・にムードや気分(つまりは感情=主観)で拒否反応しこれを忌み嫌う行動様式というのは、学校等で「○○キモい!」 [4]とイジメの行動の一環で「ああ!この鉛筆○○が触ったから、もう使えないわ!」と言ってゴミ箱にポイと捨てる、「この席、○○が座ったから座るの嫌だ!」と言って違う場所に座る・・・などの行動様式と根っこの部分で一緒だということです。
これは当然、風評被害を醸成するもの(マインド)にも当て嵌まります。
「風評被害だ!」と自分たちが被害者側に回るケースに於いては言い立てておいて、その同じ口で「除染!除染!」と言っている、そのご都合主義さに気づいて欲しいのです。
論理的にそうする正当性がないのに排除・排斥をしようというのは当然「差別」とも密接に関連します。

 この原因として福島第一原発事故の遥か以前から家庭衛生商品を売っているメーカーが「滅菌・殺菌商品」を売る一環で「身の回りには目に見えないけども、これだけ沢山のバイ菌が在るんです! [5]」とCM内で、CMを出稿している番組内で取り上げさせて人の恐怖心を煽って、これに付け込んで商売をしているというのも挙げておくべきかと思います。
身の回りに目に見えない多くの細菌が棲んでいることは嘘ではありません。事実です。 事実ですが、では、これがどの程度を超すと健康に悪影響があるのか、逆にどの程度までは事実上無害で気にする必要が無いのかという話は綺麗サッパリ抜け落とさせて、「細菌=汚い、不衛生=身の回りから排除すべき」というイメージ誘導をしているという点に注意を払わないといけないのです。
 少し本題から逸れますが大事なことなので記述しますと、「細菌類は問答無用に排除すべき」という考え方は医療現場でも過去のものになってきています [6]。 イソジン等の消毒液は人体に共棲している定在菌まで殺してしまう事から寧ろ傷の治りを遅くしたり、傷の治り具合が汚くなるなどが判ってきていて、褥創(いわゆる「床ずれ」)などにも生理食塩水または精製水で洗浄するのがスタンダードになってきています。 また、身の回りの細菌も、掃除機を掛ける、拭き掃除するという常識的程度以上に滅菌、殺菌しない方が、程良く細菌が居ている方が(特に乳幼児の場合)免疫作用が日常的に程よく刺激されることから寧ろ健康に益するということが判ってきています [7][8]

 話を本題に戻して、福島県中心に近隣地域に微量とは言え放射性物質が降り注ぎ残存しているのは事実です。が、この量は冒頭に述べた通り大半の地域で健康に悪影響が出る可能性は事実上無視出来る程度の小さなものです。
 この「小さな差異」を許容出来るかどうかの問題。 このマインドの問題は先に述べた通り「差別」を醸成し助長するのと共通するマインドの問題です。

 経済的問題 [9]として除染に反対し警鐘を鳴らしている知識人は多く居ますが、これは心理学的観点での問題でもある点を私は指摘したいのです。

——–[ 脚注 ]—————-
  1. 文科省の航空機モニタリングによる空間線量マップ(8月28日現在)より引用
  2. 塩分の摂り過ぎ、肥満など日常的にありふれたリスクを下回るので事実上無視出来るという意味
  3. これ自体無知から来ているものだという点には注意を払って欲しい
  4. ○○にはイジメの対象の個人名が入る
  5. 細菌という言葉よりバイ菌という言葉を好んで使っている点に注意
  6. イソジン等の消毒液を傷口に消毒に使っている不勉強な医師は未だ残っていますが
  7. 犬猫等を飼っている家庭とそうでない家庭との比較で疫学調査をした結果アトピー発症に有意な差があった。など。但し、何れもアトピーが発症してから後にその環境にした場合の有意性はかなり低下するとされる
  8. 余談の余談ならが、微量の放射線は寧ろ健康増進なるという説もあります。また、上述の細菌類と免疫の関係からの(少し飛躍した)類推仮説として「限度を超えない範囲での微量の放射線に曝されている方が、それに相応する体内の防衛機序は寧ろ高まるのかも知れない」と言える気がしないでもないです。
  9. 除染費用は将来世代に重く伸し掛かる負担であり、これ以前に既に莫大な財政赤字(借金)を抱えているのに加えて負担増をするのは言語道断

「空気」の汚染の方が遥かに怖い

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前から、そして今も思っていることなのですが「氏名」「住所」「出身校」・・・この程度の情報が果たして「個人情報」なのか?という疑問。
いや、個人情報と言えば個人情報の内です。確かに。
ではありますが、他人に知られて特段不都合がある、この意味での「プライバシー」という範疇に入れて良いのものなのかどうかという疑問です。

この10年くらい、この「個人情報:プライバシー」というものにヒステリックな過剰防衛的に世の中全般がなっているという実情があり、これってよくよく落ち着いて考えれば結構というかかなり異常なのではないか?と思うのです。

あなたがよほど有名人・・・特に芸能人であるとか・・・であるなら何処に住んでいるのか知られるとストーキングの心配があるとか、分かるのですが、一般人が何処に住んでいるか知られた処で、先ず以てそのこと自体に興味を示す人は皆無に近いと言えるし、況してやストーキングの心配など交通事故の被害者になる確率より低いと断言できます。
一般人がストーキングに遭う可能性があるのは「それ以前に何処の誰で何処に住んでいるのかを知らせている相手から」であり、「何処の誰かも知らない見ず知らずの人から」の場合は限りなくゼロに近いと断言して良いと思われます。

「一般人が有名人並みに自意識過剰になっている」と言えば言いすぎでしょうか? [1]

この「私」という「自意識過剰」さは、いま巷に蔓延している放射用汚染に対する “非科学的” かつ “非論理的=感情的” な「安心と安全を混同した [2]」ヒステリックな反応と根っこの部分は同じなのではないか?と思うのです。
実際「汚染」と呼ぶには余りにも笑止なくらい微量の放射性物質が飛散したに過ぎないわけで(以下に引用の画像中の赤色および非彩色の10km圏内を除く [3])。文科省の航空機モニタリングによる空間線量マップ(8月28日現在)

中島聡氏の「空気」論法 : 池田信夫 blog
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51747180.html

「私」を最大限拡大した「人の命」論法は、この(昨今の)日本人の多くが持つ自意識過剰さを心地よく擽り「悲劇のヒロイン病」に仕立て上げる。
いや反対に、「悲劇のヒロイン病」にいつでも罹患できる素地である自意識過剰さを持っているから、「私」を最大限拡大した「人の命」論法に簡単にコロっと騙されるのだ。と思います。

さようなら大江健三郎 : アゴラ
http://agora-web.jp/archives/1378824.html

今は表舞台から姿を消した上岡龍太郎氏が20年以上前から言っていた言葉を思い出します。

それ自体は本質的に正しいので誰も正面切って反論を加えにくい、誰の目にも明らかな倫理則、道徳律・・・「親を大切にしましょう」「人の命は尊い」「子供達の未来を…」「愛」「平和」「人権」・・・という言葉を正面切って主張する人間は信用してはいけない。当人は正義のつもりで言っている場合が特に危険である。

この自意識過剰さは真性の意味で自意識過剰なのではなく実に歪んだ病的な自意識過剰さであることは、本名登録であるFacebookが、全世界的には凄い規模で支持され拡大を今なお続けているのに比して日本では敬遠する人が多いのに代表されるのに表れていると言えます。 真に自意識過剰ならば、自分の名前はより多くの人に知られたいと思う方が自然だからです。
見立て様によっては、自分は何処にいるのか他人に察知されない陰に隠れて影響だけは最大限及ぼしたいという実に姑息かつ陰湿な自意識過剰さと言えるでしょう。

——–[ 脚注 ]—————-
  1. 「具体的誰かではない他人から監視されているような気がする」というのは一歩間違えば統合失調症者の持ちがちな被害妄想(念慮)に非常に近いと言えますが、今したいのこっちの方向の話じゃないので置いておきます。
  2. 安全は客観的つまり科学的に線引き可能ですが、安心は感情=マインドの問題なので極端な人のそれはご本人自らで解決して貰わないと誰もどうするこもできない
  3. 文科省の航空機モニタリングによる空間線量マップ(8月28日現在)より引用

なぜ安全性を自分たちで担保しないのか

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予め断っておくと私は大阪在住なので以下は関西電力に関しての(に向けた)話です。
とは言いつつ、東電管内の話とは事情が違う部分もあるだろうが本質的問題としては同じなのではないか?と思いつつ書きます。

「関西電力からの節電のお願い」というCMが毎日流されている。
TVのニュースで毎日の電力需給予想も告知されている。

これを観て、「実際問題として節電が必要とされている切迫した状況にあるという話ではなく、ムードとして”電力供給が逼迫している” かのようなイメージを流し → 稼働停止状態にある原子力発電所の稼働再開を実現しないと “近い将来困った事になる” との連想を促し → 停止している原子力発電所の再稼働も止むなしという “ムードとしての世論” を誘導しようとするイメージ操作だな」と感じるのは私一人ではないだろう。

「稼働停止状態にある原子力発電所の稼働再開を実現しないと “近い将来困った事になる”」という、これ自体は嘘ではない。事実である。
問題は、この汚い、卑怯と言っても良いやり口である。

私が関西電力の経営者なら、以下を実行する。

  1. 今まで(福島第一原子力発電所事故以前)に既に取り組み実現している安全諸策
  2. 福島第一原子力発電所事故を受けて、1の内容についての再吟味結果
  3. 福島第一原子力発電所事故を受けて、1以外の”見落とされていた点”, “新たに見つかった問題点”

を洗い直しさせ。(第一段階)

これに対しての具体的改善策の実施。(第二段階)

これらを総括して一般市民に向けて情報開示
→ 抽象的に「安全対策を致しました」という無意味な安全宣言はなく、微に入り細に入り「この問題点に対してはこれこれこういう対策を実行しました」「あの問題点に対してはこれこれこういう対策を講じました」と具体的事実を列挙した報告。(第三段階)

ここで大事なのは、第二段階だと、そのイチイチを経産省、原子力安全・保安院に「これは実行したほうが良いか」「実行しなくても差し支えないか」とお伺いを立てて決めるのではなく、寧ろ原子力安全・保安院が「実行しなくても差し支えない」と言っていても自社の判断として実行したほうが良いと判断されたことは実行するという姿勢である。

そして第三段階、ここが一番重要なのだが、「これこれこういう安全基準を満たしましたから再稼働を許可する方向で動いて下さい」と国の方を向いてロビー活動をするのではなく、一般市民の方を向いて「これだけの事をしました。また今後こういう方針、指針で運営していきたいと思いますので、再稼働に賛意を示して下さい」と大々的に広報するのである。 この為に番組枠を買って広報番組を流しても良い。

冷静に状況、情勢を観察していれば、今の「ムードとしてのなんとなくの反原発」は、本来は第三者機関として原子力運用の監督、監視、勧告、支持、助言を的確に行なっているべき原子力安全・保安院は「監視機関として全然まともに機能していなかった」という事実、それは結局、独立第三者機関とするべきなのを経産省の外局である資源エネルギー庁の下部組織にしていた・・・つまり経産省の意向に沿った範囲でしか動かない組織であるということ(事故後、記者会見していた担当官は直近まで特許庁に出向していた畑違いの人間であるのは有名な話である)・・・このことが国民に広く知れてしまったことから経産省の「原子力行政全般に対する不信」がその正体なのだと分かろう筈。
であるならば、幾ら改善策を施そうが、また、その改善策が実際に有効なものであっても、これを国民から信用されていない経産省、原子力安全・保安院の方を向いて行なっている限り、一般市民からの信任は得られる筈はない。

反対に上述のように一般市民に向けて充分納得の出来る説明を行なってその説得に成功し、これによって形成できた世論を以って「これだけの一般市民の信任を取り付けました」と経産省、原子力安全・保安院に迫ったら、彼らとて首を縦に振らざるを得ないであろうし、もし万が一、経産省、原子力安全・保安院が難色を示しても既に世論は味方に付けているのだから、監督省庁としての威権を守ろうとする官僚体質の愚を正面切って批判できる。(ひいては官僚の構造改革も迫れる)

電力会社が生き残りたいのなら、これが正しい戦略である。

私個人は電力自由化推進賛成派なので、既存の地域独占の状態で電力会社には残って頂かない方が良いわけなのだが、「形だけ民間企業その実態は公社」と言われてきた体質を改善し本当の意味で企業として自らを再定義し直し価値を高める、この意味で今の状況は「最大のチャンス」なのですよ。関西電力の経営陣さん。

2012年1月17日0時35分:表記間違い「誤:福島第二原子力発電所」を「正:福島第一原子力発電所」に訂正

のこのこ後から「レベル5」だと発表する厚顔無恥

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IAEA(国際原子力機関)が火曜日(3/15)の段階でレベル6だとの見解を示しているのに、この3日後にそんな事素知らぬ顔で「レベル5である」と発表した経済産業省原子力安全・保安院。
彼らが如何に無能で、無能であるだけでなく無知で、無知であるだけでなく無責任かこの発表で自ら示したと言えます。
無能で無知で無責任なだけでなく、悪く言えば事故をちょっとでも軽いものだと言いくるめようとする隠蔽体質、良く言っても身内(監督業界)贔屓でその他(国民一般、諸外国)のことを一顧だにしないテクノロジー・リテラシーの無さを曝け出していると言って差し支えないでしょう。

この事で問題なのは国民に嘘を吐いているということは無論、この一件だけで国際社会から「日本の原子力関係者(政府、電力業界)は信用ならない(嘘吐きだ)」と判断された点です。


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