前から、そして今も思っていることなのですが「氏名」「住所」「出身校」・・・この程度の情報が果たして「個人情報」なのか?という疑問。
いや、個人情報と言えば個人情報の内です。確かに。
ではありますが、他人に知られて特段不都合がある、この意味での「プライバシー」という範疇に入れて良いのものなのかどうかという疑問です。

この10年くらい、この「個人情報:プライバシー」というものにヒステリックな過剰防衛的に世の中全般がなっているという実情があり、これってよくよく落ち着いて考えれば結構というかかなり異常なのではないか?と思うのです。

あなたがよほど有名人・・・特に芸能人であるとか・・・であるなら何処に住んでいるのか知られるとストーキングの心配があるとか、分かるのですが、一般人が何処に住んでいるか知られた処で、先ず以てそのこと自体に興味を示す人は皆無に近いと言えるし、況してやストーキングの心配など交通事故の被害者になる確率より低いと断言できます。
一般人がストーキングに遭う可能性があるのは「それ以前に何処の誰で何処に住んでいるのかを知らせている相手から」であり、「何処の誰かも知らない見ず知らずの人から」の場合は限りなくゼロに近いと断言して良いと思われます。

「一般人が有名人並みに自意識過剰になっている」と言えば言いすぎでしょうか? [1]

この「私」という「自意識過剰」さは、いま巷に蔓延している放射用汚染に対する “非科学的” かつ “非論理的=感情的” な「安心と安全を混同した [2]」ヒステリックな反応と根っこの部分は同じなのではないか?と思うのです。
実際「汚染」と呼ぶには余りにも笑止なくらい微量の放射性物質が飛散したに過ぎないわけで(以下に引用の画像中の赤色および非彩色の10km圏内を除く [3])。文科省の航空機モニタリングによる空間線量マップ(8月28日現在)

中島聡氏の「空気」論法 : 池田信夫 blog
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51747180.html

「私」を最大限拡大した「人の命」論法は、この(昨今の)日本人の多くが持つ自意識過剰さを心地よく擽り「悲劇のヒロイン病」に仕立て上げる。
いや反対に、「悲劇のヒロイン病」にいつでも罹患できる素地である自意識過剰さを持っているから、「私」を最大限拡大した「人の命」論法に簡単にコロっと騙されるのだ。と思います。

さようなら大江健三郎 : アゴラ
http://agora-web.jp/archives/1378824.html

今は表舞台から姿を消した上岡龍太郎氏が20年以上前から言っていた言葉を思い出します。

それ自体は本質的に正しいので誰も正面切って反論を加えにくい、誰の目にも明らかな倫理則、道徳律・・・「親を大切にしましょう」「人の命は尊い」「子供達の未来を…」「愛」「平和」「人権」・・・という言葉を正面切って主張する人間は信用してはいけない。当人は正義のつもりで言っている場合が特に危険である。

この自意識過剰さは真性の意味で自意識過剰なのではなく実に歪んだ病的な自意識過剰さであることは、本名登録であるFacebookが、全世界的には凄い規模で支持され拡大を今なお続けているのに比して日本では敬遠する人が多いのに代表されるのに表れていると言えます。 真に自意識過剰ならば、自分の名前はより多くの人に知られたいと思う方が自然だからです。
見立て様によっては、自分は何処にいるのか他人に察知されない陰に隠れて影響だけは最大限及ぼしたいという実に姑息かつ陰湿な自意識過剰さと言えるでしょう。

——–[ 脚注 ]—————-
  1. 「具体的誰かではない他人から監視されているような気がする」というのは一歩間違えば統合失調症者の持ちがちな被害妄想(念慮)に非常に近いと言えますが、今したいのこっちの方向の話じゃないので置いておきます。
  2. 安全は客観的つまり科学的に線引き可能ですが、安心は感情=マインドの問題なので極端な人のそれはご本人自らで解決して貰わないと誰もどうするこもできない
  3. 文科省の航空機モニタリングによる空間線量マップ(8月28日現在)より引用