この記事はfacebookのタイムラインに9/9に投稿したものに加筆修正した転載です。


立川志らくさんが大大大推奨してたのだが映画館での上映は結局東京の(名画座的な)一館のみで終わってしまい、仕方なくDVDは結構前に入手してたのだが、気軽に観れる映画ではなく迂闊に観ないほうが良いと思って今日に至っていた。
観られる条件(心情的なものも含む)が整ってやっと鑑賞した。

 良かった。

流石コッポラ。
流石ルーカスの師匠なだけあると思わせるルーカスに通底する構成のセンスを随所に感じた。

我々人間が「我」と思っている自我意識と呼ばれる(呼んでいる)もの自体が突き詰めればフィクションである。そのフィクションが実在だと思い込める一つの大きなファクターが「時間」。 時の流れというもの自体は存在はしているが、これを「時間」「時系列の流れ」としての体系と捉えるのは実は人間独自の「発明」で自然には存在しない。言い換えるなら、時の流れという本質的に捉えどころのないモノを「捉えられていると錯覚するためのトリック」、これが時間という発明である。

荘子の「胡蝶の夢」が言っているのはこういうことで、だから邦題に「胡蝶の夢」が入っているのだろう(たぶん、コッポラ自身のチェックが入っている。コッポラとはそういう人だから[1] )。



----[ 脚注 ]---------------------------------------------------------------------------
  1. 他言語の字幕を入れる時に、その字幕を台本にして送らせて(これを専任アシスタントが英語に訳したものを)一語一句チェックし、その言語でのその言い回しはどういうニュアンスかまで確認しつつ、自分の意図に沿った訳になっていない場合修正させる → これを納得するまで繰り返す。という作業を要求する人なのだそうだ

最終更新日:2012年9月26日