日本語で忠誠心というと江戸時代からの上限関係観念の名残で兎角「下から上に対しての」というフレームに嵌めて捉えてしまいがちですが、上から下への忠誠心これもあって良いし、事実ある筈だと思います。
経営者になったつもりで考えて欲しいのですが。 雇う側の立場で考えれば有能な人を採用したいと考える。 特に中小零細の経営者であれば、履歴書/職務経歴書上「きれいな」人は大企業に取られているので、履歴書/職務経歴書上ではその能力の優劣可否を判断できない(できにくい)人の中から有能な人を、もし見付けられるのであれば見付けたいと考えている。
実際、履歴書/職務経歴書上「きれいな」人でも、雇ってみてから「(自社に合っている/いないを含めて)使いものにならない」と判定されるケースはゴロゴロあり、況してや履歴書/職務経歴書上で判定せずに人を雇おうとすると、早い話「取り敢えずやらせてみて」それから考えるという手法がもし出来るであれば、これが一番良い・・・履歴書/職務経歴書上では良い印象を与えられないけども能力なりやる気のある人には機会が与えられるというメリット、雇う側には判断材料が少なすぎる段階 [1] で採否を決めなくて良いというメリット・・・に決っている。
「そんなこと出来るようにしたら経営者側が好き勝手に人を使い捨てにするじゃないか!」と、おいおい、いつまで発展途上型の労働組合思想から抜け出れていないのだ、と言いたくなる左翼的思考法に(知らず)染まっている人は多いようですが、ここで考えて欲しいのが表題の「経営者の忠誠心」です。
経営者だって同じ人間だし日本人です。忠誠心があり仕事熱心の人を可能な範囲で厚遇したいし、長く勤めて欲しいと考える、という考えてみるまでもなく当たり前のことが何故か「労働者vs経営者」という構図になった途端忘却されるのはおかしいでしょ?ということです。
細かいテクニカルな論理考証は、池田氏のブログを拾い読みしていって貰えれば理解できますし、過去に何度も当ブログでも引用しているので繰り返しませんが、「日本人は勤勉で真面目」というその建前の綺麗事とは裏腹に、現在の労働規制は労働者側の忠誠心もとうの昔に破却している [2] し、かつ、経営者が労働者への忠誠心を発揮できる機会も破却しているということです。

——–[ 脚注 ]—————-
  1. 履歴書/職務経歴書という紙切れ上の綺麗事と僅かな時間の面接での印象の好悪という「そんなんで決めてええんかい!」という
  2. 世界でダントツ最下位!日本企業の社員のやる気はなぜこんなに低いのか?|『社会貢献』を買う人たち|ダイヤモンド・オンライン
    http://diamond.jp/articles/-/30488