過去にも何度か読んでいた古い記 [1] なんだけど今回なんでか琴線に触れた(以前が触れなかったという意味ではない)、tweetしようと思ったのだけど文字数的に収まらないのでエントリーにするです。

日本というのは「金で何でも買える国」になっているのだなぁ、と痛切に思った。

404 Blog Not Found:貧乏な社会で子を産むな
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50955373.html

(もちろん「何でも」と言っても道義的、倫理的に対象にそもそもしてはいけないものは含まない、たぶん。)
「金で何でも買える」と「金を出さないと何も手に入らない」は本来的にはイコールではない筈なのに、日本という国は何時の間にかこれがほぼイコールになっているじゃん。という嘆息である。

そもそもは金を出さなくても手に入るものをわざわざサービスに仕立ててお金を取る。ビジネスとはそういうもので、これが存在する事を悪視して「市場原理主義悪」と非難する短絡な論は巷に溢れているがこれは間違い。崩壊寸前時のソビエト社会主義共和国連邦は「金を出さないと何も手に入らない」極北だった点を思い起こせばそれで足りるだろう。
「金で買える状態」なのが問題なのではなく「金を出す以外のオプションが存在しない」ことが問題なのである。一般庶民が金を出しては手に入れていないものを、金持ちがわざわざ金を出して手に入れる(そのかわり極上のサービスに仕立て上げられたものを)のは一向に構わないわけで。
先にソビエト社会主義共和国連邦を例として引いたのは偶然なのだが、こういう社会に仕立て上がってしまっている日本という国は「その負の部分に社会主義的ミーム」を備えてしまっていると気付くと偶然が偶然ではなくなる。
実は、何でもかんでもありとあらゆるものに値札が付くのは、資本主義社会に於いてであるより社会主義社会に於いてであるのだ。
『それをお金で買いますか--市場主義の限界ただ、「何でもかんでも値札を付けてはいけないものまで値札を付けてしまっている」というよりは日本の場合、誰もやろうとしなくなっている内に仕方無しの結果として値札が付いてしまい。そして一旦値札が付いたら、それは「既得権」となり、そうなると値札無しでやろうとする人間を規制するという本末転倒が起こる。というのが実情ではないだろうか。
既得権および既得権ホルダーを批判するのは無意味だとは言わないが、その構造をそもそも作った責任の一旦はあなたにも在るという自覚無しに既得権および既得権ホルダーを批判するのは単なるスケープ・ゴート・・・つまり責任逃れ・・・じゃないか。

——–[ 脚注 ]—————-
  1. 事関連記事リンクをどんどん辿って行くという読み方を拙は基本的にするのだけど、Danさんのブログは特にこの読み方でどんどん掘って行けるので愉しい(interest)。