冷戦のツケをこんな処で払わされそうとは
11月 03
時事評論 PTSD, 原子力発電, 原発事故, 原発議論, 反原発, 東北関東大震災, 東日本大震災, 空気としてのマインド No Comments
以下ページに池田信夫氏が要約を載せているが直訳過ぎて、『放射能と理性』を読んだ人ならこの直訳でも誤解無いだろうが、読んでいない人には誤解を受ける可能性があると思われますので老婆心ながら意訳を試みるというか、解説を交えた読み下しにします。参考まで。
(当該インタビュー上でアリソン教授が語っていない付加された文言は、『放射能と理性』を読んで私が理解した内容から付加したものです。また字幕も結構ラフなので英語が聞き取れる人は英語を聴くようにして下さい)
尚、そのままでも差し支えないと判断した部分はそのままにしてあります。
池田信夫 blog : 原発の被災者は帰宅させよ
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51753116.html
- 被災地に見られたのは被曝の恐怖。問題は被曝自体ではなく、被曝の恐怖。これはICRPの勧告が誤っていることが起因している。
- 冷戦時代には、冷戦構造および核の配備を正当化するために殊更に「核の恐怖」が過剰に喧伝された。これ故(人々の恐怖心も過剰に醸成された故)許容被曝線量をできる限り低くすること・・・自然界のレベルになるべく近づけないと人々を安心させることは出来なかった [1] 。この要請から出てきたのがICRPの勧告である。
- 今は虚構ではなく現実的に「深刻なリスクなしにどこまで高い放射線が許されるか」ということを考えるのを要求されている。
- この現実的ケースで想定される許容被曝線量は現在の1000倍ぐらい高い。
- その現実的想定で考えれば帰宅できる。避難している人々は全員帰宅すべきだ。
- 日本政府はICRPに従って年1~20ミリシーベルトを基準にしているが、これはバカげた低い基準だ。
- 毎月100mSv、つまり年1200mSv、現在の1000倍が適切だ。ICRPの勧告を変えることが私の重要な仕事だ。
- LNT仮説は、「針の上で何人の天使が踊れるか」というような神学論争。医療の現場では、放射線を何回にもわけて照射している。これは閾値があることを前提にしている。
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LNT仮説について知らない人は以下を参照してみて下さい。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/search?q=LNT%E4%BB%AE%E8%AA%AC
——–[ 脚注 ]—————-