結構多くの人がそれぞれそれぞれの言葉で有為な見解を述べてくれていて、他人(ひと)が有為な言葉を紡いでくれた後で意見を述べるのは実に楽な「他人のふんどしで相撲を取る」ではあるが。

「こんなこと勉強して何の役に立つの?」と聞かれた時、言葉を尽くせない大人が知性を殺す: 不倒城
http://mubou.seesaa.net/article/272799592.html
『ちょっと前、「子どもに「こんなこと勉強して何の役に立つの?」と言われた時、「こんなことも出来ないお前は何の役に立つの?」と返すのが最強」とかいうコピペをみて、心底アホかと思った。まさか親や教育者が本気にはしないと思うが、こういう一言は容易に知性を殺す』

コメント欄も含めこれを読んで私の想起した見解は「何が役に立つのか将来のことは誰にも(私にも)わからないから」である。

何が役に立つのかかなりの確からしさで予見できるのであればU.S.S.R [1] は崩壊せずに今尚存続しているだろうという例を引っぱり出して来なくても感覚的に分かると思う。

我々の知っている事は「何が今まで役に立ってきたか」だけ。
と同時に「それは役に立つことが実証される以前段階で “役に立つだろう” と予想されたものも含むけども、実証される(実用化される)までは誰も役に立つとは思っていなかったもの、どころか役に立つわけがないとバカにされていたものも数多く含まれていること」も知っている。
そして更に、世の中を一変させるほどの偉大な発明・発見の多くは後者の方である事が多い傾向なのも知っている。
そして更に、それを世の中の誰しもが認める実用化まで元アイデア発案者の独力で到達できたのは結構レアケースである事も。(不遇のままで世を去って、後世に再発見された英才の物語は枚挙に暇がない)

以下エントリーではこの点までは言及していないが、この意味でも「人様の頭を使う」というdankogai氏の指摘は有効である。

404 Blog Not Found:「こんなことも出来ないお前は何の役に立つの?」が最凶な理由
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51802268.html

利用されてやる側に回ること、つまり、援助することはあなたにもできるということである。

加えて、習得途上の段階でひょんなことで今まで想定されていなかった別の使い道(新たな定義or定義の拡張も)を思い付くこと、というのもままある事で、この意味で丸暗記勉強は最悪なのでもある。

「目的がハッキリしていなくても手段を弄くり回しているうちに目的(らしきもの)を思い付けるタイプ」と「目的がハッキリしていて、これに収斂させていく方が得意であるがゆえに、逆に目的がハッキリしていないと馬力が掛らないタイプ」とがあって、、、という話もあるのだが、これはまた改めて。

——–[ 脚注 ]—————-
  1. Union of Soviet Socialist Republics・・・旧ソ連の正式名称「ソビエト社会主義共和国連邦」